「ずっと夢をみて、安心してた」

7月20日の木曜日、生まれて初めて川で泳いだ。
俺は泳ぎが得意ではないから、浮かぶ努力をしたというべきか。

三泊四日の出張。大阪を発った我々は三重を目指した。ガソリンスタンドの閉まる時間が想定していたよりも早く、エンプティランプが点灯してから60〜70キロ走行する羽目に。JAFやレンタカー、タクシー、あらゆる手段を頭の中で検討する。いずれも50キロ圏内にない。「車中泊は暑いだろうなあ」と思いながらの二択。右か、左か。選んだ先に、ガソリンスタンドはあった。助かった。

仕事の合間に魚飛渓というところへ行った。きっとまだ夏休みが始まっていないのだろう、遊んでいる人は少なかった。天気が良い。水は冷たい。浮力の違いを体験できた。海の場合、足先も浮いている。川の場合、足先が沈む。

とても綺麗なところだった。
伝えたかった。伝えられなかった。

友だちは言う。

「よくなかったことは、自分で勝手に見つけてしまうかもしれないから、だから私はよかったことを、簡単によかったとは言えないけれど、それでも、並べてみる」

俺は、お別れの言葉を。またね。

「おい、どうすんだよ?」「もう、どうだっていいや」

+α/あるふぁきゅん。を知ったのは今年の5月末のことで、それはここにも書いた。
6月8日のメモには、

率直な感想として、心には響かない。
響かないんだけれど。
心に響かない原因は需要にあると思う。この人は世(の中の一部)に望まれたことを表現しているだけではないか。
響かないけれど、空虚な気持ちになる。この人は、歌いたい歌を歌っているのだろうか。ノーという答えを想定しての問いではない。俺自身の考えはイエスである。
おそらく、100年後に残る音楽ではない。歌っている人も、たぶん望んでいない。
誤解を恐れずに言うなら、背景にRADWIMPSを感じる。

と書き残し、9日の明け方に「前言を撤回する。感動した」と訂正し、友人から「この24時間に何があったw」と言われた。

何があったんだろう? 仮説はある。こじつけである可能性も否定できないが。

手元にはCD三枚分の音源があるのだけれど、最初のころ主に聴いていたのは一枚目と二枚目だった。全ての曲というわけではないけれど、ボーカロイドのカバーが比較的多いらしい。
彼女自身の言葉を借りて良いなら、それらは真の意味では、彼女の歌じゃない。
RADWIMPSを感じたのは、彼女からではなく、作者からかもしれない。

三枚目は、違う。それは、彼女のために書かれた歌であり、彼女が仲間と一緒に作った曲なのだ。「何があったのか?」という問いには「三枚目があった」という答えが、一応は当てはまる。

誤解を恐れて言うのだけれど、ここまで、俺は一切否定的な感想を述べていない。

6月24日、俺はライブのチケットを買った。そこには、不純な動機も含まれていた。
それは「ライブではどんなふうに歌うんだろう?」という好奇心である。

7月29日の土曜日、お休みをいただき、原宿に行ってきた。

客層は想定していた通りだった。やはり若い人たちが多い。俺のようなおっさんもゼロではないが、少数だ。きっと、多くの人たちがニコニコ動画時代からのファンなのだろう。

ライブは同期音源有りで行われた。馴れる前は「こっちが録音で、こっちは生音で」と、落ち着かなかった。

この人、凄い。

全ての演奏が終わり、彼女は客の一人ひとりを見送った。かすれた声で「ありがとうございます」と。俺は、最初、目を合わせることができなかった。びびりながら、一言だけ感想を伝える。それは、最初に思い浮かんだ言葉ではなく、考え直した言葉だった。声が小さくて伝わらなかったかもしれない。

三枚目をたくさん聴いた。これがファーストかもしれないと思いながら。そうして、一枚目と二枚目に戻ると、なんだか、最初とは印象が違った。タイトルは、二枚目に収録された曲からの引用である。

というか、すげーかわいかった。

「午前3時の交差点」

7月9日の日曜日はお休みだった。
夜明け前に仕事が終わり、同僚とビールを飲み、家に帰って少し寝た。夏にエアコンを使わないという試みは今年で三回目になる。扇風機を使っている。
昼過ぎに暑くて起きた。ビールやアイスコーヒーを飲みながらゲームをする。眠ったのは、22時か23時頃。

月曜日の午前3時頃、友人のKさんから電話があった。

「今、俺は交差点にいます」
「ん、うん」
「これから家に行こうと思いまして」
「それだけはやめて」

部屋がとても汚い。誰かを招待できる状況ではない。

「でも分からなくて。悲しいじゃないですか。××さんや△△さんは知っているというのに」
「隠しているわけじゃないんだけれど」
「お話があります」
「う、ん」
「これから家に行きます」
「待って。分かった。どこの交差点?」
「○○と■■の」
「では、30分後に□□で」

話している途中、共通の友人であるSさんからも電話があった。
「Kさん、Sさんからも電話が」
「今いっしょにいます」
「どうして二人いっしょに掛けてくるんだ……」

午前3時という時間は、絶妙な時間だった。今回はたまたま起こされる形になったけれど、休みの日であれば起きていることが多いし、仕事の日でも、忙しくなければ出られるからだ。
Kさんが話したいこととは、俺が黙っていたことについてだった。不自然な沈黙であるという自覚はあったのだけれど。話したくなかったわけじゃない。だけれども。同席しているSさんは俺を気遣ってくれた。きっと、二人とも察してくれていたのだ。俺は、言葉を選びながら、慎重に答えた。
「伝わった、かな」
「はい」
Sさんは、相川七瀬の歌を口ずさんだ。歌詞が0時から3時に改変されていることに気づいたのは、しばらく経ってからのことである。
また、まったく別の話であるが、俺はSさんの指摘に驚いた。過去、彼に話した記憶はないのだけれど、その指摘は当たっていた。

「凄いね。たぶん、その通りだ」

なんで分かるんだろうなあ。

「納めましょう妄想税、皆様の暮らしを豊かにするために」

三週間ほどの出張で関東を離れている。一週間単位の出張はよくあることだけれど、ぶち抜きは珍しい。スケジューラーが気を遣ってくれているということもある。「週末、帰ってきてもいいよ」上司に言われた俺は「経費がもったいないので」と答えた。半分は会社の都合、もう半分は俺の都合である。

一週目は大阪。月曜から金曜まで働いて土日休み。土曜を大阪で過ごし、日曜日に移動した。土曜日、大阪で人と会い、少々不愉快な思いをした。それはまた別の話で、何が不愉快だったのか、俺は二週間ぼんやり考えることになる。自分なりの結論は出て、すっきりした。
二週目は九州。月曜から土曜日まで働いた。三週目は再び大阪である。本当は、休日の日曜日に移動するつもりだった。「日曜に移動するんですか? 俺も日曜休みだから、一緒に飲みましょう」同じ出張組の後輩が誘ってくれたということだけが理由ではないが、結局、俺は二週目の日曜日を福岡で過ごした。酒を飲みながら後輩とモンスターストライクで遊ぶ。これもまた別の話であるが、俺は、比較的このゲームを真剣にやっている。後輩は、ゲームの上では先輩にあたる。

我々が勤める会社には、アニメ好きが何人かいる。九州に所属するYは、我が社で三本の指に入るアニメ好きである。Yと同じチームになった日は、車での移動中、主にアニメの話をしていた。片道二時間ならば往復で四時間。Yが運転し、俺は助手席に、他の同僚は後部座席に。車とYの携帯電話はトランスミッターでつながっている。彼の好きな音楽が流れ続ける。気になる歌があった。おそらく、知らない人だった。歌詞を聴き取り、検索する。曲名が分かった。

「この歌は?」
エルドライブのオープニングテーマですね」

アルバムを一枚、iTunesで買い、一週間、彼女の歌を聴いている。今、一番好きな曲をYに伝えた。ボーカロイドのカバーらしい。Yから返信があった。そうなんだよ、俺もそう思うよ。

そういえば、と気がついた。

「どういう人が好きなんですか?」何週間か前にそう質問されて、俺は答えることができなかった。一応の回答が見つかった。確信はないし、全部ではなく一部であるような気もするが。今度会ったら伝えようと思う。

明日、関東に戻る。

「何時に着いたの? お前の住む町」

仲の良かったバーテンダーからメッセージが届いた。要約すると「もう一度はじめます」という内容だった。

色々なことがあったのだろう。そして、その中にはきっと良くない出来事が含まれていたに違いない。何があったのか、知っている人もいたけれど、俺は聞かなかった。

「いつか、本人から聞こうと思います」「そうですね、その方が良いかもしれませんね」

俺は二つの意味を込めて「待っていた」と言った。「大変お待たせ致しました」という返事。彼も、二つの意味を込めたのではないか。勘の良い人だから。

「見馴れていた右手、それが掴みかけていた君の心を見失って」

2017年4月16日(日)
7thleaf in Tokyo
@下北沢THREE
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV ¥2,000 / DOOR ¥2,500 (with 1drink ¥500)
◆ACT
Pampas Fields Noise Found art/ 音の旅crew/ No Gimmick Classics/ アライヨウコ

http://7thleaf.net/pfnfa/

大好きなバンドが下北沢で演奏する。良かったら、是非。
昔、彼が俺に話してくれたことがある。彼はもう忘れてしまったかもしれないけれど、俺は覚えている。

「好きなだけじゃ駄目なんですよ。駄目でした」

そうかもしれない。だけれど、そうじゃないかもしれない。

記録をさかのぼると、彼らの演奏を初めてみたのは13年前だった。バンドの真ん中にいる彼は、友人というほどに親しくはない。

ところで、彼の音楽をライブハウスで聴いていた頃を振り返ると、思い出したくないことがあった。後悔も、楽しかったことも。
そう考えると、あの頃は俺にとって特有の期間ではなかったということになる。なぜなら、いつだって、きっとそうだから。

当時の日記を引用してみようと思う。はてなに移る前の日記。

2003年11月29日
寝不足で鈍くなった頭とからだで彼らの音楽を聴いてました。初めてみるバンドは淡々と楽曲をこなしていきます。3曲目が終わって初めて短いMCが入りました。もしかしたら最後までしゃべらないんじゃないか、彼らならそれもありだと思っていた矢先のことでした。

曲を曲のまま感じることがなかなかできず、僕は無意味だと感じながらも音を聴きながら彼らを分類します。ロックとは。パンクとは。これらの定義は一律ではないらしいけど、やはり僕の中には音楽のジャンルとしてのロックやパンクがあってそれを当てはめるのです。ロックを名乗ればロック、と友人が教えてくれて、これは僕の大好きな言葉なんだけれど、それでも僕の思うロックではなかったりする、もちろんその逆も。

ギターの音を聴いているとロックである気がしてきました。ブリティッシュという使い慣れない言葉が浮かびます。

でも、ロックじゃない。決め手となったのは歌です。こんな淡々と歌うロックは聴いたことがない。

パンクでもないしヘビメタでもない。最も広い守備範囲を持つと僕が思っているポップスとも違う。スカ、メロコア、ハードコア、ジャズ、ハードロック、ブルース。途中からよく知らない言葉がどんどん出てくるけどいずれも違う、気がする。

なんなんだ、この音楽は。僕が好きな音であることはたしかなんだけど。
帰り際、彼らの100円のシングルを買い、ついでにアンケートも書きました。
「あなたはレゲエが好きですか? 嫌いですか?」
レゲエか!!
こんなレゲエがあったのか。たしかに僕はレゲエをほとんど知らないし、聴いたこともない。聞かず嫌い。
あんな、陰鬱な、冬にぴったりのレゲエがこの世にはあるんだ。
アンケートには、レゲエが好き、とは書きませんでした。好きなのはあなたたちの音楽です、とも書きませんでした。

「いつもの英雄は、今日はどうやら――」

昨年の12月、後輩が黒いイナズマの存在を教えてくれた。
視聴したのは、episode3だった。

episode3

家に帰ってから1と2もみた。

episode1

episode2

「君が教えてくれた動画、何回もみている」
「そんなに気に入るとは思いませんでした」
「とても良い出来だと思うんだが、ひとつだけ、気になるところがある」
「?」
ブラックサンダーのCMだから、しょうがないといえばしょうがないのだけど、黒いイナズマが最後は必殺技というか、それを出したら勝負が決まっちゃう形になっている」
「たしかに、そうですね」
「その点がね、ちょっと引っ掛かった。好きなんだけど」

俺が黒いイナズマを教えてもらったのは12月、後輩に感想を聞いてもらったのは、1月であっただろうか。

2月、episode4が公開された。

衝撃を覚えた。

episode4

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「ラジオから春の歌、もうそんな季節ね」

こじつける癖がある。

「こういうことかもしれない」と感じることがあっても、それを誰かに話すことはあまりない。根拠が薄弱であることを、自分なりにではあるけれど、自覚しているからだ。

CHERRY BLOSSOMの桜ロックを繰り返し聴いている。ちょっと考え事をしていて、さほど真剣に聴いていなかったと思うのだが、途中「あれ?」と感じる箇所があった。もう一度、聴いてみる。

「やっぱり」と俺は思った。しかし、根拠がないと言い換えても良いくらいの違和感だった。今日は、思いついたことを書き残そうと思う。

この歌詞が適当に書かれていないのならば、視点は『僕』だけじゃない。『僕以外の誰か』がいる。

以上が、思いつきである。根拠はないようなものだから、結論のみを。

ところで桜ロックのMVも俺は好きなのだけれど、特に好きな部分が二箇所あるということに気がついたので、それもついでに書いておく。

3:33〜の髪が踊るところと4:03〜のボーカルの表情。

公開も非公開もあるものか!

そういうわけで『春爪フィズ』の第一作になるかもしれない原案を書いた。

ウニ氏の師匠シリーズを読むために、pixivのアカウントをつくった。なくても問題ないのだが、あった方が何かと便利だったからだ。

pixivには、たくさんのイラストが投稿されている。俺は、良いと感じるものを片っ端からブックマークしていった。

途中で気づいた。この、いわゆる『いいね』ボタン、公開と非公開がある。

少し考えて理解する。そうか、知られたくない『いいね』もあるのだな。たしかに、うむ。そうかもしれない。

しかし、一度押した『いいね』の種類を公開から非公開に変更する行為は、なんだかおかしい気がした。かといって、今から公開ではなく非公開で『いいね』を押しまくるのも、やはり、なんだかおかしい。おかしい。公開とか、非公開とか。

好きなものは好きなんだ。そこに公開も非公開もあるものか。あるものか!

タイトルは『携帯する日曜日』で、投稿先はpixivです。
俺のブックマークが、もしかしたらついでに目に入ってしまうかもしれないけれど、そこは、そっとしておいてください。

同人誌を作るまでの間、俺の書く原案や彼の描くイラストが、これからも公開されていくのではないかと思われます。

名付けて、気に入ってもらえたらマンガも買ってもらえるかもしれない作戦。

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7443474

携帯する日曜日

そういうわけで、同人誌やります。

彼が俺の文章を読んでくれたのは、彼が中三のときだったらしい。媒体は携帯電話。読みにくくなかっただろうか。今になって不安になる。手遅れだ。彼は、とある有名なウェブサイトからいくつものリンクを経て、遊びにきてくれた。あの日、仮に月が出ていなかったとしたら俺は日記を書かなかったかもしれない。彼はコメントを残さなかったかもしれない。
確実なのは、この日、彼の一言がなければ『携帯する日曜日』という言葉はたぶん生まれなかったであろうということだ。

火曜日の夜、彼こと、幕之春太さんとお酒を飲んだ。はじめまして。俺は寝坊した。すみません。約束していたところとは別の街で待ち合わせた。ほんの少し、仕事に関する話をした。
訊いてみた。
「お仕事は、××か○○ですか?」
「近いです。話しましたっけ?」
「いえ、休日の感じが。俺は△△の仕事をしています」
「そんな気がしました」
「分からないように書いていたつもりなんですけれど」
「黒い羊と白い羊の話で」
「そうか。分かる人は分かるんですね」

この会話を交わした何時間か後に、彼は「とんとん拍子で話が進みましたね」と言った。その通りだと思う。

「絵を描いていました」

目に見える始まりは彼の一言だった。そして、イラストをみせてくれた。かわいい。「続けた方がいいと思いますよ」感想を伝える。「初めて言われました」だってかわいいから。描いた方がいいと思う。

「何か一緒にやりましょう」そう言ったのは、どちらだったか。彼のような気もする。いや、俺か。俺が挿絵を描いてくださいとお願いしたのか。「せっかくですから形にしましょう」そう言ったのは彼である。「やりましょう」

「マンガ、描くんですか?」バーテンダーに訊かれた俺は「そうです。今決まりました」と応えた。

「サークル名は何にしましょう?」意見を求められ、俺は困った。名前、名前。サークルの名前を考えたことがない。どんなサークルがあるのかも知らない。「カタカナがいいのか漢字がいいのか」俺が悩んでいると、春太さんは「水曜日のカンパネラは、水曜に打ち合わせをすることが多かったのでそういう名前になったそうですよ」と教えてくれた。なるほど。
「では携帯する日曜日で」俺は提案する。彼は、一瞬きょとんとしたようにも見えた。
「けいたい?」
「携帯電話の携帯です」
「その心は」
「春太さんが携帯電話でネット界隈を歩いていたということ。そこから携帯をとりました。そしてカンパネラが水曜日なら、我々は日曜日です。読んでくださる方にとって、おやすみの日が身近にあってほしいから」後から思ったのだが、もしかしたら俺の憧れのようなものが形になっていたのかもしれない。実を言うと、日曜日は休日である方が良いと俺は考えている。だけれど、彼も俺も、そうとは限らないから。

ともあれ、そうして携帯する日曜日は結成された。

翌日、俺は悩んでいた。半ば勢いで決まったものの、考えてみれば、携帯する日曜日って、なんだかシャルナークの念能力みたいじゃないか。気がつかなかった。半分かぶっている。いやあ、どうなんだ。「この際、春と爪でいいのでは?」春太さんに相談した。
「春爪ジンフィズはどうでしょう?」
なるほど。打ち合わせた時に飲んでいた酒のひとつだ。それに、うむ、ここに理由は書かないけれど、しっくりくるものがあった。いや、ならば。
「ジンを抜きましょう。春爪フィズで」
「そうしましょう」

目指すは、来年の夏! 出来上がったら、どうか、手にとってみてください。物語はともかく、かわいいです。

「何か弱みでも握られているんですか?」

中学校の同級生が遊びにきた。関東に、一週間ほど滞在するのだという。「要約すると、二日間休み取れる? ということなのだけれど」メッセージが届いたのは先月の終わり頃で、俺は「問題ない」と返信した。

予定を教えてくれる人が何人かいる。しかし「休めるか?」と訊かれたことはほとんどない。まったくないかもしれない。新鮮だった。

休日申請には「友人の関東観光を補助するため」と記入した。「私用」でも受理されるが、なるべく具体的な理由を書くようにしている。

土曜と日曜で休みを取ったのだが、上司のはからいで三連休になった。

行ってみたいところがあるらしい。川越の蔵の町、大谷石地下採掘場跡、日光東照宮三峯神社。君の行きたいところに行こう。

大谷記念館の敷地には車の徐行をうながす注意書きがあった。俺は「静かに走りましょうって書いてあるよ」と指を差す。「たぶん、そういう意味じゃない」俺の冗談は、言い終わる前に伝わった。忍者の走り方について話すつもりだった。

秋刀魚のお刺身を食べた。店主に「どうしました? 緊張しているんですか?」と訊かれる。どうなのだろう、すぐには答えられなかった。少し考えて、友人に話す。その気持ちは分かると友人は応えた。

「何か弱みでも握られているんですか?」店主の質問に笑ってしまった。握ったことも握られたことも、たぶんない。「いいえ。借りならあります」今度はすぐに返答できた。

俺は友人に店主の話をする。あの人、凄いんだよ。「そういうことは本人に言わなきゃ」「言うつもりはない」スタッフのことも。「だからさ」

神社に寄った帰り道、友人が俺のことをどう思っているか、話してくれた。

「一般にいう不良って、やっちゃいけないことを、あえてする人なんだと思う。その意味では、結局のところ誰かが決めたことに従っているといえるんじゃないかな。ルールとか定義とか、そういうものに。あなたは違う。たとえば、みんながダメだと言っても、あなたがダメじゃないと考えたら、きっとやると思う」
「俺は、常に自分が正しいとは思っていないよ。疑っていることの方が多い」
「それは分かっている。まあ、なんというか、やっぱり決まりはある。だけれど、あなたには決まりだからと言ってもきっと通用しないんだ」

君の片思いについて、俺は感想を述べる。「俺が考えるのは、実現するための、あるいは実現しないための手段なんだ。でも、きっと今、君は手段を必要としていない。だから、俺も少し困っている」「私が必要としているのは理由かもしれないね」

どうだった? きっと、俺は明日君に訊かないのだろう。だけれど、もしも君が明日についてのことを俺に話してくれたなら、俺は「良かったね」という感想を君に伝えるのだろう。

「私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか?」

雨の上がった夜に、水を買うため外に出た。そのとき、ふとそんな言葉を思い出した。路上は湿っている。だけれど、月が出ていると思った。見上げると雲の合間に。出ているといえば出ている、隠れているといえば隠れているそんな月。

いや、違うかもしれない。月をみてから、俺はその言葉を思い出したのかもしれない。

友達に、円錐の話をした。大発見かもしれないと考えたからだ。だけれど、友達の指摘は的確で、俺の考えは一般化するには不十分だった。

すがっている自覚はないのだが、俺の考えた円錐には何かがあると今でも思っている。もう少し、考えよう。あるいは、話をしよう。

「きっと、また好きなる」

ギターの優越なんてものがあるわけない。ギターは、アウトプットのひとつ、ゲートのひとつにすぎない。ピアノの優越、トロンボーンの優越、優越が楽器の数だけ集まれば、そこにあるのは等しさだけだろう。

無論、ボーカルも等しい。

だけれど、思想があるかもしれない。そう思うことはある。

音楽を聴いていて、そこに素敵なギターがあったなら、どんな人がこの曲を書いたのだろう、どんな人が弾いているのだろう、そう思うことはある。俺の耳はあまり優秀じゃないから、聞き慣れたギターの音だけを拾っている可能性もある。つまり、俺が気づいていないだけで、素敵なピアノ、素敵なトロンボーンがそこには、もしくはどこかにはあるのだ。ないわけがない。そう、気づいていないだけなのだ。

きっと気づいていないだけなのだけれど、それでも、俺は思想を感じずにはいられない。この人は、きっとギターが好きでしょうがないのだ。好きで好きでしょうがないのだ。だけれど、それを、その思いを、『数多ある楽器のひとつ』に留めているのだ。いろんな人に聴いてもらいたいから。ギターが好きなだけでは、ギターが好きな人にしか聴いてもらえないから。どんな思いでハーモニクスを。そんなことを考えていた。

ハーモニクスじゃなかったりして。十分にありうる。次の日曜日、友達が一緒にお酒を飲んでくれる。忘れないうちに確認しておこうと思う。ねえ、俺は合ってるかい?

「いらないと思える以上は何かしら興味があるものさ」

「××さんは、いつも振られた話を書いていますね」

草野球友達に言われて「はて?」と考えた。草野球友達。いや、俺は、野球をやったことがない。たまに、応援に行くだけだ。草野球をやっている友達。いや、彼を友達と呼んでいいのだろうか。何度か一緒に酒を飲んだことがある人。草野球をやっている飲み友達。あるいは、知人。いや、俺の中にはそれなりの親しみがある。やはり、友人か。ともかく。彼からそんなことを言われた俺は「はて」と考えた。

俺、そんなに振られた話を書いているだろうか?

否定の気持ちがあったから俺は疑問に思ったのだろう。それほど多くは書いていないつもりだった。

それでは、彼が間違っているのだろうか?

ここにも疑問符が残っている。俺は、彼が誤っていると思いつつ、そんなはずはないとも推定していた。それは、俺が彼のことを信じているからだろう。それほど親しくはないけれど、だけれど、彼はそんなふうには間違えないという信頼があった。

俺は、彼が言うほどに振られた話を書いていない。けれど、彼が間違っているとも思えない。

どういうことだろう。一日考えていた。

そういうことか? と閃いた。

対象が違うのかもしれない。

俺が「振られた」と感じるとき、その相手は人である。それも、好きな人。嫌いな人とうまくいかなくても俺は「振られた」と感じない。好きな人がいて、その人とうまくいかなかったとき、相手にされなかったとき、受け入れてもらえなかったとき、俺は「振られた」と感じる。

ここで、反転させてみる。

うまくいったとき、相手にされたとき、受け入れてもらえたとき。
しっかりカウントしていないから、俺の閃きは推量に留まる。けれど、きっと、方向は間違っていないと思う。

比率として、俺は、うまくいった話、相手にされた話、受け入れてもらった話、これらの話よりも、うまくいかなかった話、相手にされなかった話、受け入れてもらえなかった話を多く書いているのではないか? たとえば。

今日も仕事がうまくいかなかった。

と思うようなことがあったとする。ここでポイントとなるのは、俺は、時として具体的な内容を曖昧な内容に変換するケースがあるということだ。自分以外の誰かが読む文章には多かれ少なかれ制限が加えられる。そして、上記の文章に俺が制限を加えた場合、こうなる。

今日もうまくいかなかった。

対象となる仕事をぼかした場合、こうなる。あるいは仕事じゃないかもしれない。酒との付き合い方かもしれないし、音楽との関わり方かもしれない。いいや、日記を書くという行為についてかもしれない。いずれにしても、すべてを書いて良いと、俺が思うとは限らない。

仮に、俺が日記について書いているとしたら。対象となる日記の部分を曖昧にぼかしていたら。
仮に、読み手が日記を書かない人だったら。

今日も好きな人とうまくいかなかった。

と読み取る可能性は十分に考えられる。たとえ話が混じったけれど、結果として、

俺は、彼が言うほどに振られた話を書いていない。けれど、彼が間違っているとも思えない。

というような状況が生まれるのではないだろうか。

きっと答え合わせをすることにはならないだろう。答え合わせをするほどに親しくはないし、彼もそこまで求めていないだろうと考えるからだ。
ふと思いついて、「世界に振られた人」という言葉で検索してみた。検索結果に限られた話ではあるが、現時点で、該当者はいなかった。そりゃそうだ。