「きっと、また好きなる」

ギターの優越なんてものがあるわけない。ギターは、アウトプットのひとつ、ゲートのひとつにすぎない。ピアノの優越、トロンボーンの優越、優越が楽器の数だけ集まれば、そこにあるのは等しさだけだろう。

無論、ボーカルも等しい。

だけれど、思想があるかもしれない。そう思うことはある。

音楽を聴いていて、そこに素敵なギターがあったなら、どんな人がこの曲を書いたのだろう、どんな人が弾いているのだろう、そう思うことはある。俺の耳はあまり優秀じゃないから、聞き慣れたギターの音だけを拾っている可能性もある。つまり、俺が気づいていないだけで、素敵なピアノ、素敵なトロンボーンがそこには、もしくはどこかにはあるのだ。ないわけがない。そう、気づいていないだけなのだ。

きっと気づいていないだけなのだけれど、それでも、俺は思想を感じずにはいられない。この人は、きっとギターが好きでしょうがないのだ。好きで好きでしょうがないのだ。だけれど、それを、その思いを、『数多ある楽器のひとつ』に留めているのだ。いろんな人に聴いてもらいたいから。ギターが好きなだけでは、ギターが好きな人にしか聴いてもらえないから。どんな思いでハーモニクスを。そんなことを考えていた。

ハーモニクスじゃなかったりして。十分にありうる。次の日曜日、友達が一緒にお酒を飲んでくれる。忘れないうちに確認しておこうと思う。ねえ、俺は合ってるかい?