「おい、どうすんだよ?」「もう、どうだっていいや」

+α/あるふぁきゅん。を知ったのは今年の5月末のことで、それはここにも書いた。
6月8日のメモには、

率直な感想として、心には響かない。
響かないんだけれど。
心に響かない原因は需要にあると思う。この人は世(の中の一部)に望まれたことを表現しているだけではないか。
響かないけれど、空虚な気持ちになる。この人は、歌いたい歌を歌っているのだろうか。ノーという答えを想定しての問いではない。俺自身の考えはイエスである。
おそらく、100年後に残る音楽ではない。歌っている人も、たぶん望んでいない。
誤解を恐れずに言うなら、背景にRADWIMPSを感じる。

と書き残し、9日の明け方に「前言を撤回する。感動した」と訂正し、友人から「この24時間に何があったw」と言われた。

何があったんだろう? 仮説はある。こじつけである可能性も否定できないが。

手元にはCD三枚分の音源があるのだけれど、最初のころ主に聴いていたのは一枚目と二枚目だった。全ての曲というわけではないけれど、ボーカロイドのカバーが比較的多いらしい。
彼女自身の言葉を借りて良いなら、それらは真の意味では、彼女の歌じゃない。
RADWIMPSを感じたのは、彼女からではなく、作者からかもしれない。

三枚目は、違う。それは、彼女のために書かれた歌であり、彼女が仲間と一緒に作った曲なのだ。「何があったのか?」という問いには「三枚目があった」という答えが、一応は当てはまる。

誤解を恐れて言うのだけれど、ここまで、俺は一切否定的な感想を述べていない。

6月24日、俺はライブのチケットを買った。そこには、不純な動機も含まれていた。
それは「ライブではどんなふうに歌うんだろう?」という好奇心である。

7月29日の土曜日、お休みをいただき、原宿に行ってきた。

客層は想定していた通りだった。やはり若い人たちが多い。俺のようなおっさんもゼロではないが、少数だ。きっと、多くの人たちがニコニコ動画時代からのファンなのだろう。

ライブは同期音源有りで行われた。馴れる前は「こっちが録音で、こっちは生音で」と、落ち着かなかった。

この人、凄い。

全ての演奏が終わり、彼女は客の一人ひとりを見送った。かすれた声で「ありがとうございます」と。俺は、最初、目を合わせることができなかった。びびりながら、一言だけ感想を伝える。それは、最初に思い浮かんだ言葉ではなく、考え直した言葉だった。声が小さくて伝わらなかったかもしれない。

三枚目をたくさん聴いた。これがファーストかもしれないと思いながら。そうして、一枚目と二枚目に戻ると、なんだか、最初とは印象が違った。タイトルは、二枚目に収録された曲からの引用である。

というか、すげーかわいかった。