「コンクリートの落書きは、やりたいことでいっぱい」

ライブの感想を省略しようと思う。

「どうでしたか?」

彼女の問いに対し、俺は「凄みを感じた」と返した。普段行くライブハウスとは比較にならないくらい大きなホールだった。彼女のチケット運が勝った。歌う人の表情も、演奏する人の手も、よくみえた。

2022年11月27日の月曜日。午前11時半、京都の烏丸御池駅付近。俺とKさんはハローワークのみえる交差点で待ち合わせた。ライトスチールブルーのアウター、深い緑を基調としたAラインのロングスカート。スカートの生地はおそらくウール、チェック柄。Kさんは、大学受験を控える高校生だった。

女性の服装を表現する語彙をほとんど持ち合わせていない。後日、俺は画像検索したマフラーの写真をPに送っている。PはKさんの同級生である。知り合ったという意味ではPの方が先だった。こんな感じでこんな感じ。スカートについて教わりたいのにマフラーを送っているあたり、言葉の貧しさがよくあらわれている。

「日記を書きたい。けれど、本人に聞くのは気が引ける。助けてほしい」

数往復のやりとりをPと交わす。彼女は「あ~~~~」と言い、ネットで拾ったスカートの画像を返してきた。

「こんな感じだった!」

「でしょ!」

名探偵である。

この日記にある服装の描写はほぼ引用に近い。似合っていた。この感想は借り物じゃない。よく似合っていた。

「はじめまして。深爪です」

「大きいっすね」

態度の話ではないだろう。Kさんとツイッターでつながったのは6年前。文章と通話。ゲームの話や音楽の話、そのほとんどは取り留めのないものだった。彼女、もしくは彼女たちにとっての俺は近所の公園にいるおっちゃんのようなものかもしれない。家族、友人、先生。俺は、いずれにも該当しないから。

よく話すようになったきっかけは新型コロナだと思う。ところで、いつか文章を読み返すとき、新型コロナという言葉もカセットテープのように色あせて見えるのだろうか。

2020年の春、俺は国と勤め先両方から「引きこもっていなさい」という指示を受けた。他方、彼女が通う学校も閉鎖された。彼女は家で勉強しながら、時折、弾き語りの配信も行っていた。ヴァイオリンの先生がアコースティックギターを貸してくれたらしい。彼女が演奏する曲は知らないものが多く、俺はノートに曲名を書き、簡単な感想を記した。オリジナルの音源も聴いた。「リクエストはありますか」と聞かれたときはノートを見ながら応答した。弾き語りは練習の色彩も強かった。俺は、何度でも聴いた。

高校生のお嬢さんと待ち合わせる経緯については、ひとつ前の日記に詳しく書いた。

Kさんは昼食をとる店を調べてくれていた。この日の京都は、よく晴れていた。

「開店と同時に入りましょう」

「うん」

ガラス扉の張り紙。イベントに出店するため臨時休業する、とのこと。

「たぶん、こっちの方にいろいろあります」

やがて一軒のレストランにたどり着く。彼女はパスタのセットを、俺はグラタンを。

「お酒、ありますよ」

「飲まない」

彼女は何気なく言ったのだろう。俺が毎日のように酒を飲んでいることを知っているから。一人だったら飲んでいたかもしれない。俺はすぐに顔が赤くなるから、だから飲まなかった。言わなかった。豆の入ったサラダは瓶に盛り付けられている。おいしい。パンに添えられたジャムはシェア方式だった。

「二度づけ禁止だね」

ちょこんとジャムの乗ったパンがKさんの皿に整然と並んだ。量は控えめ、かわいらしい見た目のお菓子のように。俺は垂らすところをみていない。おそらくサラダに気を取られていたのだろう。

「これなら二度づけになりません」

昔から思っていることなのだが、頭の回転が速い人は俺と話していてイライラしないのだろうか。俺は、決して速い方じゃない。かといって一人ひとりに「イライラしない?」と確認するほど機械的でもない。彼女はどう感じていただろうか。

レストランを出てライブ会場に向かう。時間に余裕を持たせていた我々は平安神宮にお参りした。Kさんの受験がうまくいきますように。手を合わせる。お祭りのように屋台が並んでいる。臨時休業しているあのお店もきっとどこかで何かを売っているのだろう。入場料を払い、神苑を歩く。路面電車の話をしてくれた。日本最古のチンチン電車。また、春の七草を諳んじていた。

開場までもう少し。ホールの向かい側にあるカフェに入り、ケーキセットを注文した。Kさんはバッグからタブレットを取り出し、ゲームを起動する。俺も真剣にやっているゲームだった。

「隣に座りますか?」

ゲーム画面を一緒に見ますか、という意味だった。きっと俺は、あの一瞬を忘れない。フリーズという表現がある。俺はあまり使わない。思考じたいが固まって動かなくなったわけではなかった。様々なことを考えていた。1秒、もしくは0.5秒。呆れたような表情を浮かべた彼女はタブレットの角度を変えた。向かい合って座ったままでもみえるように。あのときの、俺の逡巡に対する印象や評価を聞く機会はきっと訪れない。

2023年3月30日。Kさんからメッセージが届いた。

「4月から大学生です」

合格おめでとう。厳しい戦いだったと思う。掛ける言葉がみつからないときもあった。将来を見据えたきみは受験という選択肢をえらんだ。違う方法もあった。そのなかには、もっと楽な手段も。俺は自分の考えを伝えなかった。口にしたのは「支持する」という結論のみだった。

「あるふぁきゅんのライブ、連れていってください」

いいよ。行こう。