「私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか?」

雨の上がった夜に、水を買うため外に出た。そのとき、ふとそんな言葉を思い出した。路上は湿っている。だけれど、月が出ていると思った。見上げると雲の合間に。出ているといえば出ている、隠れているといえば隠れているそんな月。

いや、違うかもしれない。月をみてから、俺はその言葉を思い出したのかもしれない。

友達に、円錐の話をした。大発見かもしれないと考えたからだ。だけれど、友達の指摘は的確で、俺の考えは一般化するには不十分だった。

すがっている自覚はないのだが、俺の考えた円錐には何かがあると今でも思っている。もう少し、考えよう。あるいは、話をしよう。