公開も非公開もあるものか!

そういうわけで『春爪フィズ』の第一作になるかもしれない原案を書いた。

ウニ氏の師匠シリーズを読むために、pixivのアカウントをつくった。なくても問題ないのだが、あった方が何かと便利だったからだ。

pixivには、たくさんのイラストが投稿されている。俺は、良いと感じるものを片っ端からブックマークしていった。

途中で気づいた。この、いわゆる『いいね』ボタン、公開と非公開がある。

少し考えて理解する。そうか、知られたくない『いいね』もあるのだな。たしかに、うむ。そうかもしれない。

しかし、一度押した『いいね』の種類を公開から非公開に変更する行為は、なんだかおかしい気がした。かといって、今から公開ではなく非公開で『いいね』を押しまくるのも、やはり、なんだかおかしい。おかしい。公開とか、非公開とか。

好きなものは好きなんだ。そこに公開も非公開もあるものか。あるものか!

タイトルは『携帯する日曜日』で、投稿先はpixivです。
俺のブックマークが、もしかしたらついでに目に入ってしまうかもしれないけれど、そこは、そっとしておいてください。

同人誌を作るまでの間、俺の書く原案や彼の描くイラストが、これからも公開されていくのではないかと思われます。

名付けて、気に入ってもらえたらマンガも買ってもらえるかもしれない作戦。

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7443474

携帯する日曜日

そういうわけで、同人誌やります。

彼が俺の文章を読んでくれたのは、彼が中三のときだったらしい。媒体は携帯電話。読みにくくなかっただろうか。今になって不安になる。手遅れだ。彼は、とある有名なウェブサイトからいくつものリンクを経て、遊びにきてくれた。あの日、仮に月が出ていなかったとしたら俺は日記を書かなかったかもしれない。彼はコメントを残さなかったかもしれない。
確実なのは、この日、彼の一言がなければ『携帯する日曜日』という言葉はたぶん生まれなかったであろうということだ。

火曜日の夜、彼こと、幕之春太さんとお酒を飲んだ。はじめまして。俺は寝坊した。すみません。約束していたところとは別の街で待ち合わせた。ほんの少し、仕事に関する話をした。
訊いてみた。
「お仕事は、××か○○ですか?」
「近いです。話しましたっけ?」
「いえ、休日の感じが。俺は△△の仕事をしています」
「そんな気がしました」
「分からないように書いていたつもりなんですけれど」
「黒い羊と白い羊の話で」
「そうか。分かる人は分かるんですね」

この会話を交わした何時間か後に、彼は「とんとん拍子で話が進みましたね」と言った。その通りだと思う。

「絵を描いていました」

目に見える始まりは彼の一言だった。そして、イラストをみせてくれた。かわいい。「続けた方がいいと思いますよ」感想を伝える。「初めて言われました」だってかわいいから。描いた方がいいと思う。

「何か一緒にやりましょう」そう言ったのは、どちらだったか。彼のような気もする。いや、俺か。俺が挿絵を描いてくださいとお願いしたのか。「せっかくですから形にしましょう」そう言ったのは彼である。「やりましょう」

「マンガ、描くんですか?」バーテンダーに訊かれた俺は「そうです。今決まりました」と応えた。

「サークル名は何にしましょう?」意見を求められ、俺は困った。名前、名前。サークルの名前を考えたことがない。どんなサークルがあるのかも知らない。「カタカナがいいのか漢字がいいのか」俺が悩んでいると、春太さんは「水曜日のカンパネラは、水曜に打ち合わせをすることが多かったのでそういう名前になったそうですよ」と教えてくれた。なるほど。
「では携帯する日曜日で」俺は提案する。彼は、一瞬きょとんとしたようにも見えた。
「けいたい?」
「携帯電話の携帯です」
「その心は」
「春太さんが携帯電話でネット界隈を歩いていたということ。そこから携帯をとりました。そしてカンパネラが水曜日なら、我々は日曜日です。読んでくださる方にとって、おやすみの日が身近にあってほしいから」後から思ったのだが、もしかしたら俺の憧れのようなものが形になっていたのかもしれない。実を言うと、日曜日は休日である方が良いと俺は考えている。だけれど、彼も俺も、そうとは限らないから。

ともあれ、そうして携帯する日曜日は結成された。

翌日、俺は悩んでいた。半ば勢いで決まったものの、考えてみれば、携帯する日曜日って、なんだかシャルナークの念能力みたいじゃないか。気がつかなかった。半分かぶっている。いやあ、どうなんだ。「この際、春と爪でいいのでは?」春太さんに相談した。
「春爪ジンフィズはどうでしょう?」
なるほど。打ち合わせた時に飲んでいた酒のひとつだ。それに、うむ、ここに理由は書かないけれど、しっくりくるものがあった。いや、ならば。
「ジンを抜きましょう。春爪フィズで」
「そうしましょう」

目指すは、来年の夏! 出来上がったら、どうか、手にとってみてください。物語はともかく、かわいいです。

「何か弱みでも握られているんですか?」

中学校の同級生が遊びにきた。関東に、一週間ほど滞在するのだという。「要約すると、二日間休み取れる? ということなのだけれど」メッセージが届いたのは先月の終わり頃で、俺は「問題ない」と返信した。

予定を教えてくれる人が何人かいる。しかし「休めるか?」と訊かれたことはほとんどない。まったくないかもしれない。新鮮だった。

休日申請には「友人の関東観光を補助するため」と記入した。「私用」でも受理されるが、なるべく具体的な理由を書くようにしている。

土曜と日曜で休みを取ったのだが、上司のはからいで三連休になった。

行ってみたいところがあるらしい。川越の蔵の町、大谷石地下採掘場跡、日光東照宮三峯神社。君の行きたいところに行こう。

大谷記念館の敷地には車の徐行をうながす注意書きがあった。俺は「静かに走りましょうって書いてあるよ」と指を差す。「たぶん、そういう意味じゃない」俺の冗談は、言い終わる前に伝わった。忍者の走り方について話すつもりだった。

秋刀魚のお刺身を食べた。店主に「どうしました? 緊張しているんですか?」と訊かれる。どうなのだろう、すぐには答えられなかった。少し考えて、友人に話す。その気持ちは分かると友人は応えた。

「何か弱みでも握られているんですか?」店主の質問に笑ってしまった。握ったことも握られたことも、たぶんない。「いいえ。借りならあります」今度はすぐに返答できた。

俺は友人に店主の話をする。あの人、凄いんだよ。「そういうことは本人に言わなきゃ」「言うつもりはない」スタッフのことも。「だからさ」

神社に寄った帰り道、友人が俺のことをどう思っているか、話してくれた。

「一般にいう不良って、やっちゃいけないことを、あえてする人なんだと思う。その意味では、結局のところ誰かが決めたことに従っているといえるんじゃないかな。ルールとか定義とか、そういうものに。あなたは違う。たとえば、みんながダメだと言っても、あなたがダメじゃないと考えたら、きっとやると思う」
「俺は、常に自分が正しいとは思っていないよ。疑っていることの方が多い」
「それは分かっている。まあ、なんというか、やっぱり決まりはある。だけれど、あなたには決まりだからと言ってもきっと通用しないんだ」

君の片思いについて、俺は感想を述べる。「俺が考えるのは、実現するための、あるいは実現しないための手段なんだ。でも、きっと今、君は手段を必要としていない。だから、俺も少し困っている」「私が必要としているのは理由かもしれないね」

どうだった? きっと、俺は明日君に訊かないのだろう。だけれど、もしも君が明日についてのことを俺に話してくれたなら、俺は「良かったね」という感想を君に伝えるのだろう。

「私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか?」

雨の上がった夜に、水を買うため外に出た。そのとき、ふとそんな言葉を思い出した。路上は湿っている。だけれど、月が出ていると思った。見上げると雲の合間に。出ているといえば出ている、隠れているといえば隠れているそんな月。

いや、違うかもしれない。月をみてから、俺はその言葉を思い出したのかもしれない。

友達に、円錐の話をした。大発見かもしれないと考えたからだ。だけれど、友達の指摘は的確で、俺の考えは一般化するには不十分だった。

すがっている自覚はないのだが、俺の考えた円錐には何かがあると今でも思っている。もう少し、考えよう。あるいは、話をしよう。

「きっと、また好きなる」

ギターの優越なんてものがあるわけない。ギターは、アウトプットのひとつ、ゲートのひとつにすぎない。ピアノの優越、トロンボーンの優越、優越が楽器の数だけ集まれば、そこにあるのは等しさだけだろう。

無論、ボーカルも等しい。

だけれど、思想があるかもしれない。そう思うことはある。

音楽を聴いていて、そこに素敵なギターがあったなら、どんな人がこの曲を書いたのだろう、どんな人が弾いているのだろう、そう思うことはある。俺の耳はあまり優秀じゃないから、聞き慣れたギターの音だけを拾っている可能性もある。つまり、俺が気づいていないだけで、素敵なピアノ、素敵なトロンボーンがそこには、もしくはどこかにはあるのだ。ないわけがない。そう、気づいていないだけなのだ。

きっと気づいていないだけなのだけれど、それでも、俺は思想を感じずにはいられない。この人は、きっとギターが好きでしょうがないのだ。好きで好きでしょうがないのだ。だけれど、それを、その思いを、『数多ある楽器のひとつ』に留めているのだ。いろんな人に聴いてもらいたいから。ギターが好きなだけでは、ギターが好きな人にしか聴いてもらえないから。どんな思いでハーモニクスを。そんなことを考えていた。

ハーモニクスじゃなかったりして。十分にありうる。次の日曜日、友達が一緒にお酒を飲んでくれる。忘れないうちに確認しておこうと思う。ねえ、俺は合ってるかい?

「いらないと思える以上は何かしら興味があるものさ」

「××さんは、いつも振られた話を書いていますね」

草野球友達に言われて「はて?」と考えた。草野球友達。いや、俺は、野球をやったことがない。たまに、応援に行くだけだ。草野球をやっている友達。いや、彼を友達と呼んでいいのだろうか。何度か一緒に酒を飲んだことがある人。草野球をやっている飲み友達。あるいは、知人。いや、俺の中にはそれなりの親しみがある。やはり、友人か。ともかく。彼からそんなことを言われた俺は「はて」と考えた。

俺、そんなに振られた話を書いているだろうか?

否定の気持ちがあったから俺は疑問に思ったのだろう。それほど多くは書いていないつもりだった。

それでは、彼が間違っているのだろうか?

ここにも疑問符が残っている。俺は、彼が誤っていると思いつつ、そんなはずはないとも推定していた。それは、俺が彼のことを信じているからだろう。それほど親しくはないけれど、だけれど、彼はそんなふうには間違えないという信頼があった。

俺は、彼が言うほどに振られた話を書いていない。けれど、彼が間違っているとも思えない。

どういうことだろう。一日考えていた。

そういうことか? と閃いた。

対象が違うのかもしれない。

俺が「振られた」と感じるとき、その相手は人である。それも、好きな人。嫌いな人とうまくいかなくても俺は「振られた」と感じない。好きな人がいて、その人とうまくいかなかったとき、相手にされなかったとき、受け入れてもらえなかったとき、俺は「振られた」と感じる。

ここで、反転させてみる。

うまくいったとき、相手にされたとき、受け入れてもらえたとき。
しっかりカウントしていないから、俺の閃きは推量に留まる。けれど、きっと、方向は間違っていないと思う。

比率として、俺は、うまくいった話、相手にされた話、受け入れてもらった話、これらの話よりも、うまくいかなかった話、相手にされなかった話、受け入れてもらえなかった話を多く書いているのではないか? たとえば。

今日も仕事がうまくいかなかった。

と思うようなことがあったとする。ここでポイントとなるのは、俺は、時として具体的な内容を曖昧な内容に変換するケースがあるということだ。自分以外の誰かが読む文章には多かれ少なかれ制限が加えられる。そして、上記の文章に俺が制限を加えた場合、こうなる。

今日もうまくいかなかった。

対象となる仕事をぼかした場合、こうなる。あるいは仕事じゃないかもしれない。酒との付き合い方かもしれないし、音楽との関わり方かもしれない。いいや、日記を書くという行為についてかもしれない。いずれにしても、すべてを書いて良いと、俺が思うとは限らない。

仮に、俺が日記について書いているとしたら。対象となる日記の部分を曖昧にぼかしていたら。
仮に、読み手が日記を書かない人だったら。

今日も好きな人とうまくいかなかった。

と読み取る可能性は十分に考えられる。たとえ話が混じったけれど、結果として、

俺は、彼が言うほどに振られた話を書いていない。けれど、彼が間違っているとも思えない。

というような状況が生まれるのではないだろうか。

きっと答え合わせをすることにはならないだろう。答え合わせをするほどに親しくはないし、彼もそこまで求めていないだろうと考えるからだ。
ふと思いついて、「世界に振られた人」という言葉で検索してみた。検索結果に限られた話ではあるが、現時点で、該当者はいなかった。そりゃそうだ。

LIPS

深刻な話をする相手も、書く場所も、限られていて。もしくは、なくて。
だけれど、たった今、エレベータが閉まる寸前に交わされた彼との会話が。どこに向かうのか、それは、分からない。

「20年後も、俺たちはこうして酒を飲んでいるだろうか?」
「飲んでますよ」
「本当に? 本当にそう思う?」

「思います」

彼の表情を、首肯を、忘れたくない。忘れたくないから、ここに書いておく。違う場所では、もう深刻な話ができないから。

とても面白い漫画があった。ピーチボーイリバーサイドが8月に更新されたけれど、それはまた別の話。

ラブタ

歌はなんだろう。君の知らない物語についてもまた、別の話。

EGOiST Lovely Icecream Princess Sweetie

捨てたもんじゃない。

「朝も昼も夜も風が南へと」

第二週の月曜日、22時半すぎに、札幌の小料理屋で同級生と再会した。彼とは、中学校が一緒だった。

卒業した後は一度も会っていないので20年振りとなる。
当時、話したことはほとんどない。彼がどんな人だったのか、全く覚えていない。名前も卒業アルバムをみるまで思い出せなかった。あだ名と顔は覚えていた。仮にOくんとする。

Oくんが店を始めたことを知り、いつか行ってみたいと思っていた。それは、「積極的に何が何でも」というよりは「タイミングが合えば」という感じだった。そうして、今の会社に入ってから何度目かの北海道出張中、今回は行けるかもしれないと思った。
前日の夜、Oくんとも仲が良かったであろうMに訊く。「出張で札幌にきている。Oくんの店は、日曜もやっているだろうか?」「どうだろう。今は忙しいと思うから明日の昼きいてみるよ。やっていたら私も行こうかな」

日曜日の昼、メッセージが届いていた。「水曜日と第一週の日曜が休みだって。あなたは、本当にタイミングが悪いね」「うむ」「せっかくだから、どこかでご飯でも食べようか」
その日の夜、Mは夕食に付き合ってくれた。また、Sも誘ってくれた。Sと会うのも20年振りだった。
「帰ってきたなら帰ってきたで、早く言えや」Mに言われる。「帰ってきたから構ってほしいと言うのは、ちょっと、遠慮してしまって。だからといって君に黙って彼の店に行くのもどうだろうと思い。ごめん」彼らとは、午前2時くらいに別れた。「スケジュールが変わった。Oくんのお店には、明日行くよ」「二人でどんな話をするんだろうね。とても興味深いけれど」

月曜日、家を出るのが結構遅くなってしまった。仕事に取り掛かる前にアクセルワールドを読み返したせいだろう。「もっと先へ。加速したくはないか、少年」最近始めたばかりのモンストをやりながら、札幌駅からすすきのまで歩く。

Mが話してくれたから、Oくんも俺のことを思い出していたのだろうか。店に入るなり、Oくんに「××くん?」と言われた。「久し振り」

彼は、第一週の日曜日が休みである理由を教えてくれた。「というわけで、ごめんね。昨日せっかく来てくれようとしたのに」「今日来られたから大丈夫」

終電に合わせたのだろうか、二人の客が帰り、Oくんと二人きりになった。お店は、2時までやっているらしい。20年前の話を少し。お互いにほとんど話したことがなかったのに、お互いがお互いを覚えていたということ。そして、俺は勘違いにも気づいた。「Mちゃんもね、中学のときは話したことがなかったと思うよ」そうなのか。仲が良いのだとばかり思っていた。「ねえ、Oくん。気になっていたことがあるんだけど。君はどうしてOくんと呼ばれていたの?」彼の本名には、姓名共にOという字がない。彼は「ああ」と笑い、教えてくれた。「だから、たぶん当時は誰も知らなかったんじゃないかな」なるほど。

誰もが理由を知らないまま、彼のことをOくんと呼ぶ。俺も含めて。そのことが、なんだか面白かった。

午前2時、彼は唐突に言う。「よし、飲みに行こう」「いや、片付けは?」「後でやる」

彼の知る店に向かう。歩きながら訊ねる。
「店を始めるの、すすきので良かったと思う?」
「思う」
「理由を訊いてもいい?」
「みんなが助けてくれるから」

彼の答えは速かった。そうか。相手も話の内容も違ったけれど、同じ答えを聞いたことが俺はあるよ。

閉店時間の欄に「燃え尽きるまで」と書いてある店に二人で入った。ほぼ満席。店主はベーシストらしい。Oくんと別れたのは、きっと4時くらい。いくつかの話をした。その中で、彼は「東京にはさ、いくらでもあると思うんだけど」と言った。俺は、少し考えてから答える。「東京のことは、俺もよく知らない。けれど、別になんでもあるわけじゃないと思うよ。少なくとも、東京にOくんはいない」

楽しかった。またね。

「あいつらの鼻歌が耳障りだ」

お酒を飲んだ日記を書いていたのだが、どうにもしっくりこない。KさんとKさんとOさん。KさんにFさん。Kさんが三人いる。試しに、イニシャルをやめてみた。彼らは何も言わないだろうが、これはこれでいかがなものかと思う。抵抗なく書くことができる人は限られている。一人だけかもしれない。

だからというわけじゃないが、結果だけを書こうと思う。

今年、三回外で寝た。

一度目は、寝不足による。俺が住むアパートまであと数十メートルというところだった。たまたま通りかかったタクシーの運転手が通報してくれたらしい。警察の方に起こされた。そこはかとなく危ないなあと思った。歩道だから大丈夫とか、そういう問題ではない。

二度目は、休憩だった。終電を逃し、店で朝まで起きている自信がなかったので、比較的安全なところを探し、二時間ほど眠った。赤坂の公園にある滑り台。ここなら誰にも見つからないだろう。予定通り起きて、飲みなおした。虫に刺されたのは三箇所。朝には腫れが引いていた。その日のキーワードは「彼女、酔っていないですよ」だろう。とても感心した。「××さんなら大丈夫だと思いながらも、一応の助言だったんでしょうね」彼らと一緒にいると、勉強になる。人との関わり方。良いか悪いかは別として、あのような関わり方もあるのだと。

三度目は、飲みすぎた。「同期会をやります」と誘われて、同僚二人と飲んだ。何年ぶりだろう。「後輩や部下とは、絶対にこんな飲み方しない」彼はそう言った。確かに無茶苦茶だった。一人で一本? 許容の倍である。東口と西口、両方で吐いた。眼鏡をなくした。一部、記憶がない。元々そんなに強くないので、記憶がなくなることはそんなにない。

眼鏡はなくなってしまったが、とりあえず今日も無事である。

どうして格好いいのか、しばらく経って気がついた。

そうか、全ての字に月が入っているんだ。厳密には違うかもしれないけれど、でも。
カッコいいという印象が先にあり、理由は後からやってきた。

北陸勤務のN氏のことを、同僚は親愛の情を込めてオジキと呼ぶ。なかなかもって、言い得て妙だなあと感心する。
かつてのボスは、親方だった。親方は転職し、あちこち飛び回っているらしいが、拠点に変わりはないらしく。
ちょっと前にも、社宅にあらわれたらしい。

「社宅を変える予定がある。君の荷物がいくつかある。片付けに来い」

オジキに呼ばれた。二年ぶりの北陸出張だった。

ご飯をご馳走になり「北陸においでよ。もう一回、一緒にやろう」と言われた。
「ねえ、もしかして」「ん?」「待っていてくれたの?」「まあ、そうなるかな」

「……社宅の片付けって」
「あんなん、君と話すための口実に決まってるだろうが」
「だ、騙したな!!」

何かが違えば、一緒に仕事をしていたのかもしれない。けれど、何かが違わなかったから、一緒に働くことはなかった。
「常駐は厳しいと思うけれど。半分なら付き合う。前に、約束したし」
「ん」
「でも、俺がこっちきたら、Nさんはヨソに行くんでしょう。そんな気がするよ」

七年ぶりに降ってきた。

台所がうるさくて目が覚めた。台所がうるさいと理解したのは、目が覚めてしばらく経ってからで、何の音だろう、こんな音が鳴る目覚まし時計は使っていないと思いながら、音のする方、台所に向かい、やがて理解した。

2008年の八月に同じことが起きている。落下した換気扇が、コンロの上で荒ぶっていた。換気扇の羽根が食器を打ち付けている。コンセントが抜けていないのも、七年前と同じだった。違うのは換気扇が落ちた原因である。前回は、スイッチを入れるために紐を引っ張った結果、落ちてきた。今回は触っていない。俺は眠っていたのだから。おそらく、突風でも吹いたのだろう。

コンセントを抜き、とりあえずそのままに。いつ降ってきたのか、いつ直したのか、実はよく覚えていない。

今の部屋に住み始めて七年か。そんなことを今思っている。何ヶ所か壁紙はひび割れ、ユニットバスの扉は壊れ、誰かを招待する状況ではない。そういえば、ベッドも壊れている。順番に一つずつ。まずはベッドか。夏が終わるまでに。

「幸せな妄想を描いては打ち消して」

ギターのピックを、俺は二種類しか知らない。二本以上の指でつまむものと、親指にはめるものだ。
前者の場合、コード弾きにせよアルペジオにせよ、ピッキングによって弾くものだと思っていた。思い込んでいた。指で弾きたいなら後者を選ぶか、あるいは前者のピックを口にくわえる等して指を自由にするか、しかないと。エアーピック奏法という冗談を以前口にしたことがあるが、その話はまた別の機会に。

弾いてみたい曲はたくさんあって、その一つを演奏している動画をみていた。同じようには弾けないけれど、コードの移り変わりがよく分からなくて、みていた。
「そんなことができるのか」と感心した。

その人は親指と人指し指でピックをつまみ、中指、薬指、小指で指弾きしていた。確かに可能だ。どうして思いつかなかったのだろう。

理由は簡単だ。思い込んでいたからである。

昨年、友達に「何か一緒にやりたいね」と誘われて、真剣に考えたけれど実現しなかった。「ごめんね、約束守れなかった」俺が謝ると、友達は「もしやってたら、俺も寝る時間がなかったよ」と笑った。それも分かっていた。起業したばかりの友達が忙しいということを知っていたから。

だけれど、いつか。そう思っている。

技術とセンス、どちらも敵わないけれど、だけれど、一緒にやることを想像すると、楽しそうだ。彼は、ベースを弾く。誰にタンバリンを任せるかも、もう決まっている。

きっと楽しいから、練習しようと思う。

ラ・ヨダソウ・スティアーナ

ずっと気になっていた場所があって、ようやく寄ることができた。
とても綺麗で、もう少し長くそこにいたかったけれど、実際にいたのは5分くらいだった。

携帯電話で数枚、写真を撮った。

しかし、撮らなかったものもある。

これが恐れなのかと思った。自分の中には、やはり何らかの信仰があるとも。

写真に残さない方が良い、誰にも言わない方が良い、きっと後悔することになる。俺はそう考えた。

それでは、ここに書くのはどうなんだろうか。
どうして書くのだろう。おそらく、動機が混線しているんだと思う。

「え、二人じゃなくて三人でという意味ですか?」「うん。二人でも四人でもない。三人」

俺は友達と話していて「事実」という言葉を使うときがある。何度か、あるいは、何度も。
そのたびに、引っ掛かる。俺は、正しい意味で使っているのだろうか? 辞書をひいてみる。正しいような、誤っているような。だからといって、たとえば「出来事」という言葉に替えたところで、引っ掛かりは残るだろう。

事実ではない。事実とは異なる。俺は、そう言うべきじゃないのかもしれない。

本意ではない。不本意である。こっちか?

喫煙所で、後輩のHに言われた。「彼女と別れようと思います。どっちもイライラしちゃって」「クリスマスは? お休みだったでしょう」「それがですね――」

「よし、Mさんに相談だ」「嫌です」「どうして?」「あの人は、嫌です……」「君たち、仲がよいのに。分かった。言わない」

明け方、「お酒が飲みたい」とHを誘った。24時間営業の居酒屋に行き、二人でビールと熱燗を飲んだ。Hは、二人で飲むのは初めてですねと笑った。そうだね、そうかもしれない。午前7時くらいだろうか、Mさん、I、T、Kの4人が店に来た。俺は手を振った。応えてくれた。彼らは離れたテーブルに座った。

俺はHのことをよく知らない。彼と一緒に仕事をするようになって一年くらい。俺が知っているのは職場での一年間だけで、それは彼のごく一部にすぎないだろう。知っているとは言えない。そして、それ以上に彼の恋人のことを知らない。全く知らない。だから「どういう人なの?」と訊いた。別れようと思っていることに対して、彼は俺に意見を求めていないかもしれない。だけれど、きっと俺は意見したかったのだ。彼女のことをどう思っているかについては訊かなかった。彼が彼女をどのような人だと思っているか、訊いた。

話を聞いて、俺は思ったことを口にした。「君の恋人にお会いしたいんだけど、嫌がるかな」「あー、どうでしょう。でも、全然連絡していなくて、今は誘える状況じゃないんですよ」「じゃあ、誘える状況になったら訊いてみて。俺、○日と○日が休みだから」彼は、少し困った顔をした。俺は続ける。「君はね――」

その頃、同僚の4人が隣のテーブルに移動してきた。6人で乾杯する。仕事のこと、同僚のこと、かつて俺が会社をやめようと思ったときにMさんが引き留めなかったことについて話した。最後の話をしたのはMさんである。

「Mさん、あのとき引き留めてくれてありがとう」「引き留めてねーし」

後日、職場で「珍しい組み合わせでしたね」とMさんに言われた。
「Hに合コンしたいって相談したんだ」Mさんが笑う。

「あいつ、すげー頑張ると思いますよ」「そうかな」

三人で会うためには、Hは彼女と話さなくてはならない。二人は話し合った方がいい。それが話を聞いた後の、俺の意見だった。

「別に言うほど仲良くはないけど。不意に浮かんだ、地下鉄のホームで」

The Homesicksというバンドを知っているだろうか? ホームシックス。
ボーカルがどういう人なのかよく知らない。話したこともない。ライブハウスで最後にみたのは、きっと10年くらい前のこと。
好きな音楽、好きなバンド。紹介したことがあるかもしれない。感想を書いたことも。だけれど、一枚のCDをすすめたことはないと思う。

銀座でiPhone5sを買った日、東京で初雪が降った。

その翌日、ようやくアドレス帳の同期を終えた俺は何気なくiTunes Storeでホームシックスを検索した。新譜があった。試聴する。彼だった。購入する。

衝撃を覚えた。

どうして良いか分からず、友達にメールを送った。彼が変わったこと。彼が変わっていないこと。変わりながらも変わっていない、か。夜、友達から返信があった。歌い方、言葉の切り方。変わっていない。でも、何かが違う。どうしたら良いのか、彼も分からなかったんじゃないだろうか。10年前の彼からはそんな印象を受けた。振り切っていない、居直ってもいない。彼は彼のままだ。音楽が追いついたのか? 彼の魅力が、音楽の魅力になったのか?

素敵な一曲なんて、数え切れないほどある。だけれど、名盤はどうだろうか。春夏秋冬というタイトルのこのCDは、世に残ってほしい一枚だと思う。

彼が、彼らが、休むことを知った。知るのが遅すぎた。彼らの、彼の、ライブを思い浮かべることができる。だけれど、もうみることができないかもしれない。
きっとまたね。言えるはずもない。気軽に言えない。

音楽をやる人の、音楽以外にどんな意味があるというのか。分からないけれど、オフィシャルの、彼の文章を何度も読んだ。

ギターが好きな人、ベースが好きな人。ドラムが好きな人。歌が好きな人。音楽が好きな人。悲しいことがあった人、何も感じない人。
どうか、一度聴いてみてほしい。できることならアルバムを聴いてほしい。

http://homesicks.com/