「春を摘んだこと、夏を浴びたこと、秋を感じたこと、僕のことを」

歌はこの後「忘れないでくれ」と続く。

俺は「忘れないでほしい」と相手に対してあまり思わない。他方、自分が「忘れたくない」と望むことはよくある。
この感覚は、お店に行く時にもあらわれている。コンビニ、そば屋、居酒屋、喫茶店。バー、小料理店。食べたり飲んだりしてばかりだけれど、ほとんどの場合において「初めまして」の気持ちで店に行く。俺のことを覚えていなくて良い、俺のことを知っている人がいなくても良い。そう考えているのだと思う。
もしかしたら、転ばぬ先の杖理論に基づいた感覚かもしれない。つまりは「いつもの」の真逆。仮に「いつもの」と何かを注文して、相手が認識しなかったらそれはちょっと恥ずかしい。書いていて思ったのだが、俺は誰かに対して「いつもの」と言ったことがない。俺が買う煙草を用意してくれるコンビニの店長やビールを持ってきてくれる居酒屋の店員はいるけれど、必ず俺は注文をするという心の準備をしている。

もちろん、家族や友達と会った時に「誰だっけ?」と思われたら、少し寂しい。普段は、忘れていても構わないが顔をみたら思い出してほしいと考えるのは、わがままだろうか。

だから、自分のことを覚えてもらいたいという気持ちで会いに行っているわけではなかった。その日の俺は、いつもと違う格好だった。Tシャツとビーチサンダルではなく、スーツを着ていた。「誰だか分からなかった」そう言われた俺は「会社に行く前に寄ったから」と答えた。

「仕事、頑張れい!!」

バシッと右腕を叩かれた。

後になって思う。

俺が誰なのか分からなかったのは、格好が違ったからで、いつもと同じ格好であれば、分かったということではないか。それは、俺のことを覚えているということではないか。
俺がどのように感じたのかを書かなくては、この時の気持ちを、いつかは忘れてしまうだろうか。忘れたくない。たぶん大丈夫。

「帰りたくなったとき、さよならは言えるかな」

7月28日の土曜日、天気予報は台風。結果的に、埼玉や東京は直撃を受けなかった。
Kさんが勤めるバーに行く。作ってもらいたいお酒があった。
「今日、お客さん来た?」
「来るわけないでしょう! こんな夜に来る客なんてね、バカっすよ、バカ」
「俺も客‥‥」
一杯のビールを飲み終える頃、バーの扉が開いた。客がきたのだ。
「あの、小学生の子供がいるんですけど大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですけど、バーでよろしければ」
Kさんの応答は、日本語が少しおかしかったと思うのだけれど、彼がどのような言葉を選んだのか忘れてしまった。惜しいことをした。
新たな客が三人、カウンターに座った。男性はマティーニを、女性はジントニックを。子供にはクランベリージュースを。彼が飲みたい酒はグレンリベットの12年らしいが、あいにくの品切れだった。18年とボトラーズはあるけれど、Kさんは強く勧めなかった。
彼らは一杯ずつ飲んで店を出た。
「俺もあんなふうに飲みたい。こういうお店はそういう所だと思う」
俺の意見は黙殺された。

今年の夏、俺が参加した+α/あるふぁきゅん。のリリースイベントをまとめてみた。

2018.05.27 大宮アルシェ 1Fイベントステージ
2018.06.03 ダイバーシティ東京プラザ 2Fフェスティバル広場
2018.06.09 タワーレコード横浜ビブレ店
2018.07.01 ダイバーシティ東京プラザ 2Fフェスティバル広場
2018.07.07 HMVエソラ池袋
2018.07.08 大宮アルシェ 1Fイベントステージ
2018.07.14 タワーレコード梅田NU茶屋町店 6Fイベントスペース
2018.07.21 HMVエソラ池袋
2018.07.22 タワーレコード川崎店
2018.07.29 アリオ橋本 アクアガーデン
2018.08.18 Space emo池袋

29回の内、11回。出勤前に行ったイベントもある。一方、全国ツアーは6都市の内4つ。

2018.06.23 仙台 LIVE HOUSE enn
2018.07.15 大阪 北堀江club vijon
2018.07.16 名古屋 R.A.D
2018.07.28 東京 吉祥寺CLUB SEATA

岡山と福岡のライブは断念した。「行けなくはない、ないが」と悩んだ結果だった。
CDに購入特典があるように、全国ツアーにも特典がついてくる。そして、すべてのライブに参加した人には『中打ち上げ参加券』が配布される。打ち上げ? 打ち上げだと!?

だけれど、なんか違うよな。

打ち上げに参加したいから彼女のライブに行くわけではない。話がそれるかもしれないけど、これは外でお酒を飲む理由にも似ている。家を出れば知り合いは増える。だけれど、俺は友人や知人を求めてお店に行くわけではない。結果が目的ではないというか。ふぁっきゅんのイベントも一緒だった。
ライブ参加者に配られた御朱印帳を、Kさんに見てもらう。マスは6つ。ひとつライブに行くごとに、ふぁっきゅんが拳で印を押す。
「なんですか、この中途半端な奴は。俺が残りふたつ押してあげますよ」
「や、やめろ」
「ちょっと待っていてください」
「やめろー!」
半端でいいんだ。半端がいいとは言わないけれど、半端でいい。

そういうわけで、Kさんにお酒を作ってもらった。「ピンク色のお酒がいい」と言った。何杯目か忘れてしまったけれど「ああ、そういえば」と彼が言う。
「腐りかけの桃があるんですけど、使っても良いですか?」
「熟した桃って言えばいいのに‥‥飲むよ」
「たしかに。今度からはそう言います」

たぶん、嘘だ。

Kさんのお店を訪れる数時間前、俺は吉祥寺にいた。ふぁっきゅんツアーのファイナル。事前の台風情報が凶悪だったせいで、泣く泣く諦めた人もいた。親に止められたり、帰りの飛行機が欠航になるリスクがあったり。本当に、辛かったと思う。
吉祥寺のライブのみ、彼女はバンドの人たちと一緒だった。ギター2本、ベース、ドラム、キーボード、それとマニピュレーター、かな。間違っているかもしれない。ゲストもいた。バイオリニストの石川綾子さん。
ふぁっきゅんの歌が赤い火なら、石川さんの演奏は青い炎だった。分かりにくい、言葉を替える。ふぁっきゅんがラオウなら石川さんはトキだった。少し、分かりやすくなった。
拝啓ドッペルゲンガーの演奏中、バイオリンの弓に張られた毛が切れた。

大阪のライブでは、ゴーストルールを歌う彼女に泣かされたが、東京では天樂にやられた。音楽を聴いていて泣くことはあまりなかったのだが、俺も年をとったのだろうか。
前にも同じ感想を書いているけれど、天樂は特別に好きな歌というわけではない。だけれど、新潟で歌う彼女に、俺は見とれた。透明な基礎。東京の天樂は、ちょっとまだ、なんと言ったら良いのか分からない。後日、本人に感想を伝える機会があった。
「東京では、天樂で泣いちゃいました」
「天樂!?」
聞き返されて、タイトルの読み方を間違えたのだろうかと不安になった、が、そうではなかったらしい。
「なぜか分からないんですけど、評判良いんですよ。私はまだ録画映像を見てなくて」
隣にいたマネージャーの方も同意してくれた。
「良かったよね、天樂」
その後、俺は思いついた言葉を口走っている。それが適した言葉だったのか否か、自信はない。だけれど、本人には言っていないがこうも考えている。神さまは、神懸からない。人だから到達できるのだ。

歌を聴いていて、真ん中にいる人なんだなと感じた。彼女に限らず、ボーカルとはバンドの真ん中にいる人だと俺は思っていた。不十分だったのかもしれない。
ふぁっきゅんは、ライブハウスの真ん中にいた。それは物理的な座標の話ではない。バンドがあって、彼女がいて、客がいるという意味だ。楽器の演奏と客の熱。中心にボーカル。その他の分野においてもセンターという言葉が使われるけれど、同じことだろうか。また、会場の規模が変わっても、俺は同じように感じるだろうか。数千人になっても、数万人になっても。分からない。俺には立てない場所だった。きっと潰されてしまう。そうか、だから。

これが、動機か。

「卒業証書には書いてないけど、人を信じ人を愛して学んだ」

ツイッターとか、フェイスブックとか。俺はあちこちで書き散らかしているけれど、こことその他に小さな違いがあることに気付いた。酒を飲まないで書くのはここだけだ。今は酒を飲んでいる。

2017年の8月15日、午前1時過ぎ。母親が死んだ。癌だった。

8月の上旬、兄貴からメールが届いた。
「親父もお袋も、心配を掛けたくないと言ってお前に連絡しようとしない。でも、全然ご飯とか食べられなくて、体重も30キロ台で。うまく言えないんだけど、帰ってこれないか?」
事情を話せば休みを取ることはできる。金は、金もなんとかなる。
「任せろ」
兄貴に返事を書いた。俺の帰省を知った父親は「金、大丈夫か」という連絡を寄越してきた。「心配するな。ちょうど帰ろうと思っていた」と返した。上司には「夏休みが欲しいです」と言い、休日申請を出した。母親のことは、言えなかった。
元々は、夜の便を取っていたのだけれど、状況が深刻であるという連絡が兄貴からあった。マジかよ。時間の変更が利かない予約だった。キャンセル料を払い、朝の便を予約し直した。兄貴には「変更できた。心配するな」と嘘をついた。
8月12日、新千歳空港から直接病院に向かった。Tシャツとビーチサンダル。寒かった。夏休みだから、スーツは置いてきた。
「意識は、ほとんどない。夢をみている感じって言えばいいのかな」親父に言われた。3月、俺は仕事で北海道に来ている。嘘だろ。母ちゃん、あんなに元気だったじゃないか。

「驚いたでしょう」

叔母に言われてうなずいた。叔母は「色々とありがとう」と母ちゃんに言った。母ちゃんは、意識が混濁していたけれど、叔母に何かを言った。叔母はうなずいた。通じている。俺は尊敬した。見舞いに来てくれた人たち、皆がしょんぼりしていた。
母ちゃん、俺は家族だから、息子だから、良いよね。神妙な感じじゃなくて良いよね。泣かなかった。昨日、埼玉でひとり沢山泣いたから。みんなといるときは泣かなくて良いよね。親戚の人、母ちゃんの友達、俺は笑いながら話した。叔母と母ちゃんが揉めたことを俺は知っている。祖母が原因だった。叔母は言う。
「あなたのお母さんは、引きずらない人、明るい人、とても凄い人」
「母親も父親も、あんまり友達がいないから。だから感謝しています」
母ちゃんが寝ているベッドの両脇に、俺と兄貴が立っていた。しかし兄貴太ったなあ。俺も太ったけど、格が違う。坊主頭だし。岩かと思った。

我々がうるさかったのか、あるいは、痛み止めが切れたのか。朦朧としていた母ちゃんが俺らを認識した。目を見開いたのだ。驚く事じゃないよ。母ちゃん、死にそうだって聞いたから。休みくらい取れるよ。というか、もっと早く言えよ。

兄貴と俺を順番にみた母ちゃんに叔母は言う。
「二人とも大きくなって。自分の子供がこんなに大きくなるなんて思わなかったでしょう?」
母親はうなずいた。俺もそう思う。特に兄貴。ちょっと痩せた方がいいんじゃないか。母ちゃんは俺たちに「居間かい?」と訊いた。「いや、違うよ」と答えた。知らなかった。母ちゃん、居間が好きだったんだ。

たぶんだけど、母ちゃんが俺のことを認識したのはこの時だけである。薬が効いたのだろうか、また眠って、きっと痛くないまま、死んだ。お休みだった主治医も夜遅くに来て、掌を合わせてくれた。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。

母ちゃんが死んだ。

母ちゃん、俺、ビーサンだよ。葬式どうするんだよ。服ねーよ。

母ちゃんの兄弟である叔父と話していて思った。俺と叔父の冗談は質が似ている。血、つながっているんだ。通夜の時、母ちゃんの友達と話した。ボロボロ泣いていた。笑い飛ばした。何、泣いているんですか。俺も泣いた。笑いながら泣いた。ごめん、無理だ。こんなに早く死ぬなんて思わなかったんだ。俺を育ててくれたのは親父と母ちゃんとばあちゃんだ。ばあちゃんは88歳まで生きた。母ちゃんは20年早い。早いよ。ばあちゃんも癌になったけど、何度も生還したじゃないか。一回や二回の転移で死ぬんじゃねーよ。嘘だ。俺は嘘をついている。

9日後には一周忌がある。元々、休みをいただくつもりだったけれど、ボスが気を遣ってくれて北海道出張が組まれた。家族や親戚と笑ってご飯を食べたいからこの日記を書いている。今の内に泣いておく。

俺の記憶が確かなら母ちゃんは赤平高校を卒業している。同校は、2015年に閉校し、2016年に校舎が解体されたらしい。母ちゃんがどんなことを勉強して、どんな人と出会って、どんな人を好きになって、どんなことを思ったのか。もっともっと聞きたかった。あまり、昔の話をしない人だったから。俺が20代の頃、こっぴどく振られた時に「色々あるよ。私も色々あった」と話してくれたことは覚えている。

俺は、上手に生きることができていない。もっとうまくやれた。できなかった。仏前で線香を上げる度に「ごめんなさい」と謝っている。一年後か二年後か、五年後か。あとどれくらい生きられるか分からないけれど「うまくいったよ、ありがとう」と母ちゃんに報告ができるように、もうちょっと頑張ってみる。

母ちゃんから届いた最後のメールは、2017年の7月5日、午前6時11分だった。
「何処にいるの? 今回の台風は無事ですか?」
俺は7時36分に返事を書いている。
「今週は埼玉で来週から大阪。昨日は日勤だったから、家で寝ていたら台風通り過ぎたよ」
母ちゃんからの返信は「良かった」だった。

そういうわけで、この日記は明日からまた+α/あるふぁきゅん。大好き日記に戻ります。

母ちゃん、ありがとう。俺、まだ頑張れるよ。やってみるよ。

「隠して仕舞ったんだ」

http://alfakyun.com/

+α/あるふぁきゅん。の全国6都市ツアー。7月15日の日曜日、俺は大阪にいた。

ふぁっきゅんが喉をやってしまったことを、俺はお台場で知った。その後のリリースイベントにおいても、彼女はファンの人たちに謝っていた。「ミニライブでは、本当は3曲歌う。もうほぼ大丈夫なのだけれど、大阪と名古屋のライブを控えている。申し訳ないが、1曲減らし、2曲だけ歌わせてもらう。この2曲を一生懸命歌う」と。

彼女は専門学校時代、歌や演奏のあれこれより回復する方法について重点的に学んでいたと、昔のインタビュー記事に書いてあった。だからというわけではないけれど、俺は心配している以上に信じていた。ふぁっきゅんなら大丈夫だ。治す方法を、彼女は知っているんだから。大丈夫。

大阪の最高気温は37℃らしい。外でうろうろしている間、俺は500ccの水を3本空けていた。暑い。北堀江club vijonは、名前は知っていたけれど行ったことのないライブハウスだった。ステージが高い。よくみえる。チケットは完売。ライブが始まった。

一曲目で分かった。治ったんだ。彼女は、この日に合わせてきちんと治してきたんだ。次の曲はゴーストルール。彼女が実際に歌うところを見るのは二度目である。7月8日にあった大宮のミニライブで一度見ている。

率直な感想として、心には響かない。(2017年6月8日)

前言を撤回する。感動した(2017年6月9日)

「鳥肌が立った」とか「心がふるえた」とか「涙があふれた」とか言いたいのだけれど、どれも事実ではない。おそらく「かたまった」という言葉が近い。(2018年3月3日)

「この人、やっぱり凄いや」と泣きそうになった。(2018年7月1日)

俺の左目から、涙が出てきた。遅れて、右目からも。涙が止まらん。後に、他のファンも「ゴーストルールに感動した」と書いていることを知る。俺も感動したんだろうか? 分からない。彼女のライブで、俺は初めて泣いた。
俺にとって身の丈の形容とは漫画である。飾ってもしょうがない。ハンターハンターでゴンの練をみたレイザーが「化け物‥‥」とつぶやくシーンがあったと思うのだけれど、きっと、俺はレイザーと同じような気持ちだった。ふぁっきゅんの歌は、何かを突き抜けていた。

なんというか、彼女は後先のことを考えていない気がしてきた。半端じゃない。だけれど、残りのライブも大切に思っている。そうか。書いていて分かった。彼女は、たぶんライブ中に次のことを考えていない。その後だ。ライブが終わった後、次までにどうするべきかを考えている。

6月の下旬、上司に呼ばれた。
「相談があるんだけど。お前、7月休み取ってるじゃん」
「はい」
「大阪と名古屋でしょ。なんとか、出張入れてあげられないかと思って。でも、現時点では、あっちで仕事ないんだよね」
「お気遣いありがとうございます。でも、ちゃんとお小遣い貯めていますし、大丈夫です」
「もしかしたら、九州入るかもしれん」
「九州‥‥」
「もし入ったら、その後、(経費を使って)電車で戻ってこい」
確かに途中下車は可能だが、笑ってしまった。公私混同という言葉を使って良いのか分からないけど、本当に、その気持ちだけで十分だった。

7月上旬、再び上司に呼ばれた。
「あのさ、こういう感じで組んでみたんだけど、どう思う?」
月曜関東。火曜日大阪。金曜日まで名古屋、更に移動、土曜日大阪。日と月はお休み。これは‥‥。「何か、無茶苦茶なスケジュールになっていないか?」という誤解が生まれる組み方だった。案の定、数人の同僚に心配された。俺はそのたびに「今回のスケは心遣いによって組まれたもので、無理を強要されたものではない」と弁明した。
「ライブ、これで行ける?」
「行けます。ありがとうございます」

「どこまでも単純だ、ここまでと悟った」

「約束していた時間より少し遅くなってしまうかもしれない」
そんな内容の連絡がAちゃんからあった。お台場からアパートに戻り、目覚ましを掛けて寝る。

ちょっと前の夜に友達が怒っていて、彼がどうして怒っているのか、なんとなく分かった俺は「飲み直そう」と彼に提案した。俺から誘うのはきっと初めてのことだった。彼が怒っていた理由、それはまた別の話である。
少し経ってから仕事を終えたTくんが店に来た。たまたまという感じでもなかった。
「Aと別れたこと、たぶんお二人とも知っていると思うんですが」
うん。知っている。その後、Tくんは別れた理由について話を始めた。所々分かりにくいところがあった。あまり、説明が得意ではないのだろう、そのとき俺はそう感じた。彼の話は、やがてお金のトラブルにシフトする。聞き終えた俺は「本当に?」と言った。「本当です」彼は応えた。「嘘は言ってないよね?」友達も、何度も確認していた。
本当に? 俺とAちゃんは、そんなに親しい間柄ではない。彼女がどういう人なのか、よく知っているわけでもない。彼女が義理堅いことは知っている。後輩のことをとても大切にしていた。
「おかしいでしょ。逆に、ふんだくれるんじゃね?」
友達の意見。なかったことにできないかな、俺はそう考えていた。
「同級生が弁護士やっている。ちょっと相談してみるよ」

翌日、同級生に相談する前に、俺はTくんにいくつか質問した。繰り返すが、話が分かりにくいのだ。ひとつ訊くと、ひとつの答えが返ってくる。俺の理解が正しいのか確認すると、合っている。ちょっとおかしいと思うところがあって更に質問する。先程の俺の理解が不十分であったことが分かる。そんな感じだった。

「というわけなんだけど、君に仕事を頼んだら、いくら掛かる?」

同級生にメッセージを送った。しばらくして返信があった。「○○万くらいかなあ。相談はサービスでいいよー」その後、何度かやりとりをしたけれど、俺と同級生の結論はほぼ一致していた。厳しい。分が悪い。

Tくんだけではなく、友達にも結論を伝えた。

なかったことにはできない、と、すると。同級生に散々相談しておいてなんだけれど、裏でこそこそするのもどうだろうという考えがあった。たぶん、俺の都合なのだ。Aちゃんに連絡した。
「きみと話がしたいんだけど、嫌? 彼は呼ばない」

寝坊しなかった。夜、駅でAちゃんと待ち合わせる。居酒屋で話を聞き、ノートに書き留める。覚悟していたことだけれど、二人の言い分は一致しなかった。どちらかが嘘をついている、もしくは本当のことを言っていない。俺の印象としては、Tくんが怪しい。あそこまで話が分かりにくかったのは、隠したいことがあったからじゃないか? だけれども。
「一方の話だけを信じることはできない。Aちゃんの肩を持つわけにもいかない。俺がデレデレしているだけってなっちゃうし」
彼女は笑う。
「ちょいちょい冗談をはさむの、やめてもらっていいですか」
茶化すつもりはないのだけれど、確かに俺も悪い癖だと思っている。

彼女と別れ、友達に連絡する。
「できることなら、あまり彼女のことを悪く思わないでほしい」
返事はすぐにあった。
「疑ったこと、今度会ったときに謝っておきます」
トラブルは解決していない。何らかの交渉をするつもりは元よりなかったけれど、おそらく俺が望む形では終わらない。難しくて使えない言葉のひとつに「分水嶺」があるのだけれど、Tくんと話していて思い浮かんだ言葉がそれだった。彼には言わなかった。

Aちゃんからは、お礼のメッセージが届いた。俺は少し考えて返事を書いた。

「ふぁっきゅんへの好意が爆発したときに、俺の話を聞いてくれるの、AちゃんとMちゃんくらいなんだよね。それが正々堂々関わろうと思った動機です」

少し、疲れた。恥ずかしくて誰にも言えないからここに書くのだけれど、ちょっと頑張った。

「そうだ、本当はそういうことが歌いたい」

7月1日、日曜日、晴れ。仕事じたいは午前3時すぎに終わったのだが、なんだか考え事をしてしまい、朝になった。寝なきゃ。昼に行きたいところがある。夜には、話したい人がいる。寝なきゃ。1時間くらい眠ることができた。

+α/あるふぁきゅん。が、再びお台場で歌う。いくつかのリリースイベントに参加したけれど、お台場は屋外ということもあり、なかなか過酷な環境だった。暑い。だけれど、俺はお日様の下で歌うふぁっきゅんが好きだった。格好良くて、綺麗だから。

三日連続で行われているイベントの最終日。ミニライブは一日二回あるのだけれど、二部で一曲歌い終わった後、彼女は我々に話をした。二日前に風邪を引いてしまったこと、体調管理も仕事に含まれていること、本来客である我々に話すべき内容じゃないと思っていたこと。喉に負担が少ないセットリストに変えるべきか悩んだこと、変えなかったこと、嫌だ嫌だ行きたくないと言っていたこと。

原文ままではないのだけれど、

「みんなが私のことをみているということを、こんなに強く感じたことはありません。いつも騒いでいるくせに、ライブを楽しんでいるのに、今日は私のことを心配そうにみている。調子が悪いのかなとか、大丈夫かなとか、きっとそんなふうに思ってくれて、ちゃんと見守ってくれている」

彼女の言葉。

一部をみているとき、俺はふぁっきゅんの不調に気付かなかった。二部の、一曲目の途中でようやく「あれ?」と感じた。なんだか辛そうで、わずかに何かが乱れていて。
失礼な話ではあるのだけど、およそ一年前、歌う彼女を初めてみた俺は、歌も録音なのかなと思ったのだ。うますぎた。

話を終えた彼女は「命に嫌われている」を歌った。

この歌は、Cメロを高く歌う人と低く歌う人がいて、ふぁっきゅんは前者だった。音源はもちろんのこと、ライブでも何度か聴いている。この日の彼女は、低く歌った。俺が知る限りでは初めてのことである。高いか低いかに良し悪しはない。まったくない。音楽の素敵なところは違うところにある。彼女がどんな思いでいつもと違う歌い方をしたのか、知ることはできないし、想像もできない。

「鳥肌が立った」とか「心がふるえた」とか「涙があふれた」とか言いたいのだけれど、どれも事実ではない。

新潟のライブをみた俺はこのように感想を書いているけれど、お台場で歌う彼女をみた俺は「この人、やっぱり凄いや」と泣きそうになった。全力を尽くすという言葉は、言い訳をするために使われるべき言葉じゃない。そうではなくて、誰かが誰かに対して思うことなのかもしれない。本当は一言感想を伝えたかったけれど控えた。帰りの電車でメールを途中まで書いてしまったけれど、それも途中で消した。

「生きろ」

彼女は最後まで歌った。

「こんな夜に意味があるなら僕らは地を這う」

6月2日の土曜日は北海道出張の最終日だった。15時くらいに起きて電車で出勤する。たまたまなのだけど、今年は北海道出張が多い。
「何かあったのかと思って心配していた」
友人のTちゃんに言われた。頻繁に帰省する俺のことを心配していたらしい。
「そのときは言うよ。ありがとう」
今回は何もないけれど、もし彼の推測通りだったら、俺はどうしていただろう。きっと、何も言わない。正確には「けりがついたら話す」かもしれない。いや、どうだろう。関わっているのが誰かによって、状況も変わる。

それはそうと、午前3時頃に仕事を終えた。

同級生の店に行った。すすきのにある彼のお店は土日に限り午前4時まで営業している。基本は日本食の居酒屋だけれど沖縄料理も食べられる。月替わりのチャーハンもおいしい。客は二人いた。ひとりは中華料理店の代表、もうひとりは山形にある酒蔵の営業さん。

始発までもう少し時間がある。以前同級生が「こんな店を目指している」と教えてくれた店にも行った。そのお店は今年で13周年を迎えたらしい。すすきのは店の入れ替わりが激しいという話を聞く。13年か、凄い。ベーシストでもある店主は、年に数回しか行かない俺の顔と名前を覚えている。

始発の電車で新千歳空港に向かう。少し眠ってしまった。起きると南千歳。空港まであと一駅――じゃない。乗客の数で察した、降りて乗り換える、この電車、折り返している、寝過ごしていた。

お台場に行きたかった。

一度家に帰るか、羽田から直行するか。交通費と時間効率を考えると直接行った方が良い。だけれど、今日はお休みである。スーツ姿で行くのは少し嫌で、ひげも剃りたかった。大宮に帰る。

日曜日の東京はとてもよく晴れていて、暑くて、着替えて正解だと感じた。

夏、+α/あるふぁきゅん。の新盤が発売される。彼女はリリースイベントを開催するために各地をまわっていて、今回はダイバーシティが会場だった。ステージはユニコーンガンダムのすぐ近くで屋根はない。機材が熱くならないよう、マイクスタンドにはスタッフのシャツが掛けられていた。ミニライブの観覧は無料、撮影と録音は禁止。広場で歌っているものだから、離れたところで携帯電話を構えている人もちらほらいて、スタッフは、そんな彼らの撮影を阻止するべく走り回っていた。俺は俺で、気になるお客さんがいた。「ちょっと怖い」と感じる。見覚えはあるけど話したことのない人たちだった。お日様の下で歌う彼女をみるのは初めてだった。最前列でみるのも初めてだった。「あのさ、汗とか結局、排泄物だよ? 好意を持ってくれるのは嬉しいのだけれど、ちょっと落ち着いた方がいいと思うんだ」いつだったか、彼女は舞台上でそのようなことを言っていた。うむ、落ち着こう。汗、キラキラ光っていた。日の光が反射しているだけである。俺は落ち着いている。

明日、仙台でライブがある。おそらく、俺の仕事が終わるのは午前4時から5時の間。10時に起きる。寝坊はできない。

そういうわけで、ちょっと仙台行ってきます!

「またたきのその瞬間さえも、途切れないように歌うよ」

三箇月。もう、三箇月も経っているのか。

目指すは松本。高速道路を走っていると右手に雪山が見えてきた。どのあたりだろう、もう、長野に入っているのか。札幌にある実家からも山が見えるけど、夜の山、こんなにくっきりと見えただろうか? 空を見ると月が浮かんでいた。ほとんど真ん丸だったけれど、満月ではないらしい。山の見え方について、後日、埼玉に戻ってから長野生まれの知人に訊いてみた。
「雪に、月の光が反射しているのか?」という見解。なるほど、もしかしたら、彼女の言うとおり夏と冬とでは山の見え方が異なるかもしれない。更に後日、実家に戻る機会があった。やはりというか、山の見え方は違った。あんなふうには見えなかった。

長野の宿はとっていなかった。車で寝るのは馴れている。スーパー銭湯に行こうかとも思ったが、せっかくの、旅行のようなものである、日がのぼったら温泉に入ろう。
松本ICの60キロくらい手前でエンプティランプが点いた。ガス欠のサイン。学習していないというか、反省していないというか。俺は三重で何を学んだのだろう。高速道路でガソリンを入れると単価が高い。ちょこっとだけ入れるか手前で降りるか、もうちょっと頑張るか。
まだ行ける。借りた車にはEVモードという機能が付いていることを後に知る。速度制限があるものの、ガソリンを消費せずに走るモードらしい。凄いなあ。
案の定、松本のガソリンスタンドも閉店しているところが多かった。「営業しているスタンドはありますか?」コンビニの従業員に訊ねてみる。丁寧に教えてくださったのだが、十分な理解には至らなかった。申し訳ない。なんとか、たどり着く。ガソリンを満タンにしてから市街を離れ、駐車場の広いコンビニを探した。
好きな言葉がある。あるいは、好きな言葉があったからこそ、俺は車中泊を選んだのかもしれない。年に二回くらい、言っている気がする。「ここをキャンプ地とする」つぶやく。

朝、枇杷の湯という温泉に行った。風呂は母屋と離れ両方にあり、どちらも良かった。
離れの露天風呂は湯を二箇所から供給する構造になっていた。一箇所は上、もう一箇所は横。
上の方は、パイプで引かれた湯が小岩の滑り台を伝って湯船に到着する。流れている分、外気に触れている時間が長くて、ぬるい。触って確かめた。
横の方は湯船の縁にあるひとつの石が細工されていて、そこから湯が湧き出ている。こちら側のパイプは見えなかった。たぶん、中に隠しているのだろう。流れていない分、温度が高い。
上の湯を12時の方向とした場合、横の湯は3時の方向である。ここから先は確かめていないのだが、おそらく3時の方向ではあつい湯、9時の方向ではぬるめの湯が楽しめるのではないだろうか。どんな人がつくったんだろうな。考えながら浸かっていた。母屋には数人の客がいたけれど、離れには俺しかいなかった。
広々とした休憩スペースもあったのだが、ここで仮眠をとると寝過ごしてしまうかもしれない。俺は車に乗って駅前に向かった。

ふぁっきゅんのライブは、前の方にいても押し潰されるおそれがない。また、譲り合いも発生している。ワンマンライブではないから、色々な方々が出演する。長野では客同士の声掛けもあった。「次に出るの○○ですけど、前で見たい方はいませんか?」というふうに。そうして出演者が替わるごとに前衛の客と後衛の客も交替していた。
俺がよく行っていたライブハウスでも客の入れ替わりはあった。けれど、それは自然に起こるものだったし、どちらかというと、順番が逆だった。つまり、前に移動したい人がいるから後ろに下がる人がいるのではなく、後ろに下がる人が先にいるという意味だ。
「前で見る?」真似をしたつもりはないのだけれど、俺も何人かの客に譲った。何度も書いていることだが、とにかく客層が若い。中には小学生に見える人もいる。そんな彼らが、縦にも横にも大きな俺の後ろにいては、ふぁっきゅんのことがよく見えないだろうと思ったのだ。

彼女が勘違いしていたのか、スタッフが間違えたのか。真相は不明であるが、MCとは異なる前奏が流れる場面があった。ステージの中断はない。きっと、一瞬で切り替えたのだろう。歌が終わってから、彼女は「済みません、曲順、間違って覚えていました」といった内容の話を客に伝えた。

これまで、これから、いったい何人の子供たちが彼女の歌を聴くのか、歌っている姿を見るのか、俺には分からない。だけれど、きっとその中には五年後、十年後に自らステージに上がって歌う人がいるのだろうと思う。ふぁっきゅんが音楽をつなげていくことに興味を持っているかどうかも分からない。しかし、彼女がどのように思っていたところで、彼女の音楽はつながっていくのだろうと思う。俺はいつまで音楽を聴いていられるだろう。自信はないけれど、もう少しだけ歌う彼女を見ていたいと思う。

物販にふぁっきゅんがいた。前日の新潟でTシャツを買っているので、長野ではTシャツの形をしたキーホルダーを買った。小銭を切らしていた俺はお札を出した。それが千円札だったかそれ以上の紙幣だったのか、覚えていないのだが、お釣りが足りなかった。スタッフの方が釣り銭を用意している間、俺は狼狽した。マネージャーの方だろうか? 彼女の隣にいた男性が「長い時間、お話できて良いですね」と助け船を出してくれた。俺は更にうろたえた。三分も四分も話すことになるなんて想定していなかった。その間、自分が話した内容を思い返すと、今でも「うわあ、もう駄目だ」という気持ちになる。やり直したい。本当にやり直したい。「失敗した失敗した‥‥」という言葉を引用したいほどに、余計なことばかり話していた。彼女がしてくれたのは、星の話と車が走るスピードの話。言い訳になるが、俺は緊張していた。それはもう、本当に緊張していたのだ。

「長野は星が綺麗」
「虫?」
「星(怒」

ひ、ひい。

「天国のレスリー・チャンに、おやすみなさいって言うため」

3月3日と4日、+α/あるふぁきゅん。のライブをみるために休日申請を出した。勤務時間の関係で、前日の金曜日も休みを取った。申請をみた上司は5日の月曜日も休みにしてくれた。四連休である。
色々と考えた結果、レンタカーを借りた。費用は高くなるが、よくあることでもない、どういうことになるのか知りたかった。

土曜日の朝に出発。関越道が混んでいた。そうか、そうだよな。高崎を抜けたあたりから車の流れは良くなり、新潟に着いたのは確か13時頃。立ち食いのお寿司屋さんで5貫食べて、後部座席で少し寝た。同じコインパーキングには、大宮ナンバーの車が停まっていて、三人か四人の男の子が談笑していた。彼らの選択は賢い。

会場はNEXSというところで、ライブは18時から始まった。

「セットリストは書かない方が良いのではないか」という考えが俺にはあるのだけれど、今回は残そうと思う。

・ストリーミングハート
・東京テディベア
・天ノ弱
・Our sympathy
・ENDLESS"I"
・このピアノでお前を8759632145回ぶん殴る
・天樂
・ロストワンの号哭

+α/あるふぁきゅん。(以下、ふぁっきゅん)のライブを沢山みてきたわけではないので断言できないが、このセットリストは新潟の人たちを思って作られているような気がした。ここはいつでも来られる場所ではない、どうしても、活動の中心は関東になる。だから。
彼女のことが好きな人たち。ニコニコ時代から好きという人、メジャーデビュー後からという人。ボカロのカバーが好きな人、オリジナルの歌が好きという人。
いつもは来られないから、色々な人たちが楽しめるようにと。

俺はどうしてこの人のことが好きなんだろう。そのことについて考える時間が増えた。友だちでも知人でもない赤の他人をこんなに好きになったのはきっと初めてのことで、少々戸惑っている。

歌っている姿が、とても綺麗だった。

一人の、普通ではない人。どこが普通じゃないんだろう。歌がうまい人も、声が美しい人も、容姿が整っている人も、世の中には沢山いる、この人だけじゃない、なのに、どうしてこの人だけを特別に感じるのだろう。

かつて、ふぁっきゅんは何かのイベントで別の話をしている時に「人はそれを信者補正と呼ぶんだよ」と言っていた。俺のこの感覚も信仰だろうか? 自覚的ではないというところに不安を覚える。別に信じたいわけじゃない。救いも求めていない。好きなだけだ。俺は彼女のことを信じているだろうか? 分からない。疑っているか? 疑っては、いない。
検証するために、言い方を変えてみよう。この人を好きだと思っている自分が好き。事実なら、俺は俺のことが好きだということになる。そんなこと、ありえるのか? どこかに誤りがある。俺は、俺のことがあんまり好きじゃない。
話がそれた。彼女に限った話ではないが、歌い続ければ、誰であれやがては声が出なくなる。彼女の歌は最後まで力強い。

後半、「天樂」を歌う彼女に見とれた。もしくは、圧倒された。

特別に好きな曲というわけでもない。「鳥肌が立った」とか「心がふるえた」とか「涙があふれた」とか言いたいのだけれど、どれも事実ではない。おそらく「かたまった」という言葉が近い。
最後まで歌い抜く努力。彼女は年末に「この後は何も予定ないんで、喉がつぶれても別にいいです」と言っていた。言い換えれば、ステージの途中で終わるわけにはいかないということだし、次の日に終わっているわけにもいかないということだ。
「天樂」の時、彼女は歌い方を変えたように感じられた。俺の頭の中に浮かんだ言葉は、声楽と基礎の二つだった。ライブ終盤に現れた声楽の技術。本当に綺麗だった。個性とか、らしさとか、そういうものじゃなくて、そういうものはもう出し尽くしていて、無色の、積み重ねてきた何か。あれが、基礎なんじゃないか?
ところで、この日のふぁっきゅんは白を基調としたパーカーとTシャツを着ていた。Tシャツは彼女にとっては大きくて、本人も言っていたけれどワンピースみたいな着方になっていた。下は、ショートパンツ。

全ての演奏が終わり、彼女は最後の挨拶をする。

「(パンツの)チャック開いてました」

俺はモスバーガーで夕食をとり、長野を目指した。

(後半に続きます。日記で後半て‥‥。)

「テレビも無ェ、ラジオも無ェ」

Kさんが働くバーに行ったのは18時過ぎだった。「お誕生日おめでとう」CDを渡した。

12月29日、秋葉原で彼に贈るプレゼントを探していた。ものは決まっているが、探し方が悪かった。最初からタワーレコードに行けば良かったのだ。この日は一年の中で最も多く階段を上り下りした日だと思う。
2017年、俺は同じCDを三枚買っている。一枚目はiTunesで自分に、二枚目は兄に。Kさんに贈るのが三枚目となる。「押しつけがましいな」と思ったが、親しく思っている人だから、いま、本当に好きなものを贈ろう。

早い時間だからか、あるいは年末だからか。Kさんの他には俺しかいなかった。彼はブツブツぼやきながら働いていた。
「あー、果物発注するの忘れてた……」
「……」
「ま、いいか」
「!」
「氷も作ってない」
「……」
「ま、いいか」
「ちょ!」
「氷くらいはつくるか……めんどくさい、めんどくさいなあ」
手が痛い、疲れた、帰りたい。Kさんのぼやきは予約客が訪れる20時くらいまで続いた。

「そうだ。珍しい酒があるんですよ」
Kさんが出してくれたのはサントリーオールドの大阪万博モデルだった。
彼は「水割りが良いと思います」と教えてくれた。
「(ロックやストレートでなくて)いいの?」
「この時代の日本のウィスキー、そのまま飲んだら俺はおいしくないと思います。割った方がいいっすよ」
プロに従う。オールドの直後に「こっちもなかなか珍しいです」と出されたウィスキーはラザフォードという銘のスコッチだった。どちらも1970年のもので、どちらも初めて見る瓶だった。

スターバックスのコーヒーリキュールは、よくできている。「ベイリーズは甘すぎる」「カルーアは酸っぱい」そんな人でも、スタバのリキュールならおいしく飲めると思う。
午前4時頃、静かに飲んでいた俺は次の一杯を頼んだ。
「スタバミルクをください」
「あ゛?」
ボウモアをロックで」
「かしこまりました」
ひどい。頼んだ酒が出てこない。
2009/4/30

スタバのリキュール、最近見かけないと思って調べてみると、オークションしか引っ掛からなかった。二倍くらいの値段になっている。
同じ味ではないけれど、もしも色々な酒を飲んでみたい方がいるなら、illyのコーヒーリキュールもおすすめである。こっちはまだ普通に売っているっぽい。

Kさんと話したことで覚えているのは、そのほとんどがお酒に関する話だった。最後の一杯と思い、俺はあの時と同じようにボウモアを頼んだ。彼はロックグラスに酒をそそいだ。ドボドボと。ちょっと待て。
「酒の量をはかるやつあるじゃないですか。三角をふたつくっつけたみたいな。どうして直で……」
「ございません」
「と、とめろ。つぐのを止めろ」
「見てください。横から見ると氷が見えません」
「お、おお」
「上から見ると見えます」
「ステルス……」

会計を頼み、金額を確認する。俺は、思いついたばかりの言葉を彼に使った。

「どんぶった?」
「……どんぶりました」

あまりに、どんぶり勘定すぎる値段だった。お誕生日だからと俺が彼に奢った分や彼が持ってきてくれたビンテージのウィスキー代はどこに消えた……。

以下は、会計を済ませてから数秒の間に何往復か交わされたKさんとのアイコンタクトである。
「じゃあ、帰るね」
「ちょっと待て」
「他にもお客さんがいる。見送りはいいから」
「いいからちょっと待て」
「だからいいってば」
「待てって言ってんだろ!」

「覚悟はいいか? オレはできてる」

かつて、友人がゲームのプロフィールに使用していたセリフは、ジョジョからの引用だった。ゲームの雰囲気に合った素敵な引用だった。

昨年の12月、社員旅行でイタリアに行ってきた。
ガイドについて、分からないことがあった。観光中、日本の旅行会社に所属する方がずっと付いてくれたのだが、彼女は立場的には通訳らしい。彼女とは別に、必ず現地の人が同行していた。街単位で入れ替わる彼らが、ガイドである。
しかし、彼らの中には自撮りにいそしむ人、いなくなる人、電話をする人もいて、あまり、仕事をしているようには見えなかったし、通訳の方は知識も豊富で一通りの説明が可能である。「どうしてここにいるんだろう?」という疑問があった。
何人かが同じことを不思議に思っていたらしい。
「マフィア絡みかな? みかじめ料をもらうために彼らはいるんだろうか」幹事に話すと「いやあ、でも、○○○(旅行会社)ですよ。そんなこと、ありえますかね」という返答。確かに。
我々の知識が足りないだけだった。通訳の方に直接訊いてみると「法律で決まっているんです」という回答。なるほど、マフィアは関係なかった。
たとえばの話、俺の友だちがイタリアに住んでいるとする。俺が友だちを訪ねて一緒に観光する。そのとき、友だちは「ガイドが行うような説明や案内をしてはならない」という法律があるらしい。罰金も。
保護法益は、自国民の労働だろうか? これは俺個人の推測である。

夜、一人でお酒を飲みに行く。屋根のある場所では煙草が吸えないという原則があるらしいが、俺が行ったバーも禁煙で、灰皿は店の外にあった。煙草を吸いに出ると、おそらくは10代後半から20代前半と思われる男の子に「煙草をくれないか?」とたかられた。イタリアの人だろうか? 英語だった。俺は少し考えて「きみは俺の友だちか?」と質問した。彼は調子よく「もちろんじゃないか」と答えたので、一本渡した。彼はすぐにいなくなった。
こんなことを書くとまた「嫌な考え方をしている」と思われるかもしれないが「どうでもいい適当な会話をひとつ消費したな」とそのとき俺は思った。

お土産に栓抜きを二つ買ったのだが、それはまた別の機会に。

そうだ、俺にとって大切なことがもう一つ。仮説の検証が終わった。

生活が元々不規則な我々は、時差ボケに対して強い耐性を持っている。ちょっと眠いときもあったけれど、いつも通りだった。

「君と夢を語り合うのは死ぬ間際でいいや」

マチュアにはアマチュアなりのこだわりというか信念というか、そういうものがあった。たぶん、初めてのことだと思う。俺は信念を曲げた。もしくは、俺の信念が曲がった。
やってみたいと思ったのだ。
今年の初めに、飲み友だちと話していた。
「どうだろ?」
「やってみましょう」
我々が握手を交わしたかどうかは忘れてしまった。たぶん、交わしていない。

色々と調べているうちに、やって良いことと悪いことが分かってきた。そりゃそうか。「怒られるまではやろう」というところで話はまとまったけれど、今ではもう一切の迷いがないと言えば、それは嘘になる。相手に伝えてはいないけれど、迷いはある。

礼儀の話だ。俺の礼儀と他人の礼儀。

趣味で文章を書いているわけだが、若干、作り方が変わった。

これまでは、ぼんやりと筋道を考えて、六割くらい頭の中で出来上がったら見切り発車で書き始めていた。今回は違う。最初から最後まで考えないとたぶん駄目だ。
初の試みなので、手探りの状況が続いている。
思いついたことを片っ端からメモしているが、これは順番がバラバラだし、まとまっていない。俺は絵が描けないから、ラフテキストという言葉をとりあえずは当てはめた。俺以外の誰かが読んだところでよく分からないだろう。プロットですらない。分かるようにしなくてはならない。

ノートの他に単語帳を買った。

ラフテキストに書いたことを、単語帳に反映させて、順番を並び替える作戦だ。80枚。これで、最初から終わりまで。

早くはない、遅くはない。始めたら始まりさ。

タイトルとは違う歌だけれど、何度も引用している詞である。

始めよう。始まった。

「僕ら、有刺鉄線を越え」

直近、といっても2〜3年経っているのだけれど、日記のタイトルの引用元を並べてみた。友人や知人の言葉が元になっているタイトルは省いている。尚、今日のタイトルは、THE BACK HORNの『サニー』より。

「嫌なものを嫌と言っていたら、こんな今日に流れ着いた」空っぽの空に潰される / amazarashi
「お料理研からおたまは既に失われた」氷菓 / 米澤穂信
「太陽系を抜け出して、平行線で交わろう」平行線 / さユり
「時効なんてやってこない、奪ったように奪われて」ゴーストルール / DECO*27
「僕のボスなら僕だけだ」ぞうきん / 斧出拓也
「ずっと夢をみて、安心してた」デイドリームビリーバー / ザ・タイマーズ
「おい、どうすんだよ?」「もう、どうだっていいや」ロストワンの号哭 / Neru
「午前3時の交差点*1」夢見る少女じゃいられない / 相川七瀬
「納めましょう妄想税、皆様の暮らしを豊かにするために」妄想税 / DECO*27
「何時に着いたの? お前の住む町」Arrival / とんねるず
「見馴れていた右手、それが掴みかけていた君の心を見失って」Vector / PAMPAS FIELD ASS KICKERS
「いつもの英雄は、今日はどうやら――」THANK U / PAMPAS FIELD ASS KICKERS
「ラジオから春の歌、もうそんな季節ね」桜ロック / CHERRYBLOSSOM
「私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか?」アインシュタインロマン / NHKスペシャル
「きっと、また好きなる」Angel Beats! / 麻枝准
「いらないと思える以上は何かしら興味があるものさ」ピーチボーイリバーサイド / クール教信者
「朝も昼も夜も風が南へと」BOY MEETS GIRL / trf
「あいつらの鼻歌が耳障りだ」ハミングを鳴らせ / The Homesicks
「幸せな妄想を描いては打ち消して」空気正常 / 越川くん(id:koshikawa
「別に言うほど仲良くはないけど。不意に浮かんだ、地下鉄のホームで」春夏秋冬 / The Homesicks
「僕はスパイになんかなれない」SPY / 槇原敬之
「言葉はまた途切れてく 漂うことができなくて」あましずく / サキムラさん(id:sakimura
「だから今日は記念日だ。戦った僕の記念日だ」空っぽの空に潰される / amazarashi

*1:原詞は時刻が異なる

「嫌なものを嫌と言っていたら、こんな今日に流れ着いた」

今の会社に入ったとき、従業員の数は24人だった。あれから10年経った。今いるのは64人。おおよそ2.5倍に増えた計算となる。

様々な理由で辞めていった人がいる。数日でいなくなったり、俺の出張中に入社して戻った頃には辞めていたり。退職者名簿をみると、半分以上の人の顔を思い出すことができなかった。名簿によれば、俺が入社してから今日まで辞めた人の数は92人。

先日、年に一度の全体会議があった。全国の社員が集まる日は、この日だけである。

勤続10年の表彰をされた。今までは現金が渡されていたが、今年からペリカ支給となった。もちろん、これは比喩である。単位はペリカじゃない。カイジか。どうしてこうなった。社長が仮想通貨の流行に影響を受けた可能性はある。厳密には違うけれど、印刷されたオリジナル紙幣には、一枚一枚社印が押されていた。結構な手間だったはずだ。

うまくいかないことの方が多かった。自他共に認めている。同僚が俺をどのように思っているか、すべてではないけれど、分かっているつもりだ。上司に守られていることも、自覚している。

社長からお祝いの言葉をもらい、一つの区切りがついた気がした。けれど、終わっていない。もう少しだけ、やってみようと思う。まだ終わっていない。もうちょっと、きっと、ここでやりたいことが俺にはあるはずだ。

「お料理研からおたまは既に失われた」

間の休み一日を含む、九日間の北陸出張。社宅のキッチンが使いやすく、自分の部屋にいるときよりも自炊の頻度が高い。一週間はもつだろうと予測して購入した日本酒(加賀鳶の山廃純米、720CC)は三日でなくなった。家で飲むお酒はビールかウィスキーが多いのだが、加賀鳶もおいしかった。次は、同じ銘柄の極寒純米、1800CCを選んだ。一升瓶を持って50メートル道路を横断する俺を、後輩はニヤニヤしながら撮影していた。「左手じゃなくて右手で持つべきだった。そうすれば、左にいる君は写真撮影をしようとは思わなかっただろう」「その時はまわりこむだけです」なるほど。

俺は、ほぼ毎日チャーハンか焼きそばか、もしくはその両方をつくっていたのだけれど、鍋料理に挑戦した日もある。エノキ、白菜、豚のもも肉、豆腐。本当はバラが良かったのだが、売っていなかった。

結論から言うと、土鍋とおたまを駄目にした。鍋は焦げ、おたまの何割かは溶けていた。出張がはじまって二日目か三日目の出来事である。

最後の日、俺は近所のニトリで鍋を買った。たぶん同じ柄。999円。

買ったばかりの鍋を洗っていると、起きてきた後輩が、俺の様子を少しみて「気付いたことを言っていいですか」と言った。「どうぞ」と応える。

「お料理研からはおたまが失われました」

俺の手が止まる。そして、笑った。そうだ、おたまのことを忘れていた。鍋を買って、満足してしまったのだ。

最初の日に「何かおすすめのアニメはありますか?」と後輩に訊かれた俺は「氷菓」と答えている。彼は氷菓をみて、おそらく俺がおたまのことを忘れていることを状況から推測し、俺のミスを指摘するために、アニメに出てくるセリフを引用したのだ。

感心した。

「代わりに買っておきましょうか?」「ありがとう。頼む」「もしもオジキが気付いたら、白状します」「もちろん。構わない」