「春を摘んだこと、夏を浴びたこと、秋を感じたこと、僕のことを」

歌はこの後「忘れないでくれ」と続く。

俺は「忘れないでほしい」と相手に対してあまり思わない。他方、自分が「忘れたくない」と望むことはよくある。
この感覚は、お店に行く時にもあらわれている。コンビニ、そば屋、居酒屋、喫茶店。バー、小料理店。食べたり飲んだりしてばかりだけれど、ほとんどの場合において「初めまして」の気持ちで店に行く。俺のことを覚えていなくて良い、俺のことを知っている人がいなくても良い。そう考えているのだと思う。
もしかしたら、転ばぬ先の杖理論に基づいた感覚かもしれない。つまりは「いつもの」の真逆。仮に「いつもの」と何かを注文して、相手が認識しなかったらそれはちょっと恥ずかしい。書いていて思ったのだが、俺は誰かに対して「いつもの」と言ったことがない。俺が買う煙草を用意してくれるコンビニの店長やビールを持ってきてくれる居酒屋の店員はいるけれど、必ず俺は注文をするという心の準備をしている。

もちろん、家族や友達と会った時に「誰だっけ?」と思われたら、少し寂しい。普段は、忘れていても構わないが顔をみたら思い出してほしいと考えるのは、わがままだろうか。

だから、自分のことを覚えてもらいたいという気持ちで会いに行っているわけではなかった。その日の俺は、いつもと違う格好だった。Tシャツとビーチサンダルではなく、スーツを着ていた。「誰だか分からなかった」そう言われた俺は「会社に行く前に寄ったから」と答えた。

「仕事、頑張れい!!」

バシッと右腕を叩かれた。

後になって思う。

俺が誰なのか分からなかったのは、格好が違ったからで、いつもと同じ格好であれば、分かったということではないか。それは、俺のことを覚えているということではないか。
俺がどのように感じたのかを書かなくては、この時の気持ちを、いつかは忘れてしまうだろうか。忘れたくない。たぶん大丈夫。