「天国のレスリー・チャンに、おやすみなさいって言うため」

3月3日と4日、+α/あるふぁきゅん。のライブをみるために休日申請を出した。勤務時間の関係で、前日の金曜日も休みを取った。申請をみた上司は5日の月曜日も休みにしてくれた。四連休である。
色々と考えた結果、レンタカーを借りた。費用は高くなるが、よくあることでもない、どういうことになるのか知りたかった。

土曜日の朝に出発。関越道が混んでいた。そうか、そうだよな。高崎を抜けたあたりから車の流れは良くなり、新潟に着いたのは確か13時頃。立ち食いのお寿司屋さんで5貫食べて、後部座席で少し寝た。同じコインパーキングには、大宮ナンバーの車が停まっていて、三人か四人の男の子が談笑していた。彼らの選択は賢い。

会場はNEXSというところで、ライブは18時から始まった。

「セットリストは書かない方が良いのではないか」という考えが俺にはあるのだけれど、今回は残そうと思う。

・ストリーミングハート
・東京テディベア
・天ノ弱
・Our sympathy
・ENDLESS"I"
・このピアノでお前を8759632145回ぶん殴る
・天樂
・ロストワンの号哭

+α/あるふぁきゅん。(以下、ふぁっきゅん)のライブを沢山みてきたわけではないので断言できないが、このセットリストは新潟の人たちを思って作られているような気がした。ここはいつでも来られる場所ではない、どうしても、活動の中心は関東になる。だから。
彼女のことが好きな人たち。ニコニコ時代から好きという人、メジャーデビュー後からという人。ボカロのカバーが好きな人、オリジナルの歌が好きという人。
いつもは来られないから、色々な人たちが楽しめるようにと。

俺はどうしてこの人のことが好きなんだろう。そのことについて考える時間が増えた。友だちでも知人でもない赤の他人をこんなに好きになったのはきっと初めてのことで、少々戸惑っている。

歌っている姿が、とても綺麗だった。

一人の、普通ではない人。どこが普通じゃないんだろう。歌がうまい人も、声が美しい人も、容姿が整っている人も、世の中には沢山いる、この人だけじゃない、なのに、どうしてこの人だけを特別に感じるのだろう。

かつて、ふぁっきゅんは何かのイベントで別の話をしている時に「人はそれを信者補正と呼ぶんだよ」と言っていた。俺のこの感覚も信仰だろうか? 自覚的ではないというところに不安を覚える。別に信じたいわけじゃない。救いも求めていない。好きなだけだ。俺は彼女のことを信じているだろうか? 分からない。疑っているか? 疑っては、いない。
検証するために、言い方を変えてみよう。この人を好きだと思っている自分が好き。事実なら、俺は俺のことが好きだということになる。そんなこと、ありえるのか? どこかに誤りがある。俺は、俺のことがあんまり好きじゃない。
話がそれた。彼女に限った話ではないが、歌い続ければ、誰であれやがては声が出なくなる。彼女の歌は最後まで力強い。

後半、「天樂」を歌う彼女に見とれた。もしくは、圧倒された。

特別に好きな曲というわけでもない。「鳥肌が立った」とか「心がふるえた」とか「涙があふれた」とか言いたいのだけれど、どれも事実ではない。おそらく「かたまった」という言葉が近い。
最後まで歌い抜く努力。彼女は年末に「この後は何も予定ないんで、喉がつぶれても別にいいです」と言っていた。言い換えれば、ステージの途中で終わるわけにはいかないということだし、次の日に終わっているわけにもいかないということだ。
「天樂」の時、彼女は歌い方を変えたように感じられた。俺の頭の中に浮かんだ言葉は、声楽と基礎の二つだった。ライブ終盤に現れた声楽の技術。本当に綺麗だった。個性とか、らしさとか、そういうものじゃなくて、そういうものはもう出し尽くしていて、無色の、積み重ねてきた何か。あれが、基礎なんじゃないか?
ところで、この日のふぁっきゅんは白を基調としたパーカーとTシャツを着ていた。Tシャツは彼女にとっては大きくて、本人も言っていたけれどワンピースみたいな着方になっていた。下は、ショートパンツ。

全ての演奏が終わり、彼女は最後の挨拶をする。

「(パンツの)チャック開いてました」

俺はモスバーガーで夕食をとり、長野を目指した。

(後半に続きます。日記で後半て‥‥。)