「テレビも無ェ、ラジオも無ェ」

Kさんが働くバーに行ったのは18時過ぎだった。「お誕生日おめでとう」CDを渡した。

12月29日、秋葉原で彼に贈るプレゼントを探していた。ものは決まっているが、探し方が悪かった。最初からタワーレコードに行けば良かったのだ。この日は一年の中で最も多く階段を上り下りした日だと思う。
2017年、俺は同じCDを三枚買っている。一枚目はiTunesで自分に、二枚目は兄に。Kさんに贈るのが三枚目となる。「押しつけがましいな」と思ったが、親しく思っている人だから、いま、本当に好きなものを贈ろう。

早い時間だからか、あるいは年末だからか。Kさんの他には俺しかいなかった。彼はブツブツぼやきながら働いていた。
「あー、果物発注するの忘れてた……」
「……」
「ま、いいか」
「!」
「氷も作ってない」
「……」
「ま、いいか」
「ちょ!」
「氷くらいはつくるか……めんどくさい、めんどくさいなあ」
手が痛い、疲れた、帰りたい。Kさんのぼやきは予約客が訪れる20時くらいまで続いた。

「そうだ。珍しい酒があるんですよ」
Kさんが出してくれたのはサントリーオールドの大阪万博モデルだった。
彼は「水割りが良いと思います」と教えてくれた。
「(ロックやストレートでなくて)いいの?」
「この時代の日本のウィスキー、そのまま飲んだら俺はおいしくないと思います。割った方がいいっすよ」
プロに従う。オールドの直後に「こっちもなかなか珍しいです」と出されたウィスキーはラザフォードという銘のスコッチだった。どちらも1970年のもので、どちらも初めて見る瓶だった。

スターバックスのコーヒーリキュールは、よくできている。「ベイリーズは甘すぎる」「カルーアは酸っぱい」そんな人でも、スタバのリキュールならおいしく飲めると思う。
午前4時頃、静かに飲んでいた俺は次の一杯を頼んだ。
「スタバミルクをください」
「あ゛?」
ボウモアをロックで」
「かしこまりました」
ひどい。頼んだ酒が出てこない。
2009/4/30

スタバのリキュール、最近見かけないと思って調べてみると、オークションしか引っ掛からなかった。二倍くらいの値段になっている。
同じ味ではないけれど、もしも色々な酒を飲んでみたい方がいるなら、illyのコーヒーリキュールもおすすめである。こっちはまだ普通に売っているっぽい。

Kさんと話したことで覚えているのは、そのほとんどがお酒に関する話だった。最後の一杯と思い、俺はあの時と同じようにボウモアを頼んだ。彼はロックグラスに酒をそそいだ。ドボドボと。ちょっと待て。
「酒の量をはかるやつあるじゃないですか。三角をふたつくっつけたみたいな。どうして直で……」
「ございません」
「と、とめろ。つぐのを止めろ」
「見てください。横から見ると氷が見えません」
「お、おお」
「上から見ると見えます」
「ステルス……」

会計を頼み、金額を確認する。俺は、思いついたばかりの言葉を彼に使った。

「どんぶった?」
「……どんぶりました」

あまりに、どんぶり勘定すぎる値段だった。お誕生日だからと俺が彼に奢った分や彼が持ってきてくれたビンテージのウィスキー代はどこに消えた……。

以下は、会計を済ませてから数秒の間に何往復か交わされたKさんとのアイコンタクトである。
「じゃあ、帰るね」
「ちょっと待て」
「他にもお客さんがいる。見送りはいいから」
「いいからちょっと待て」
「だからいいってば」
「待てって言ってんだろ!」

「覚悟はいいか? オレはできてる」

かつて、友人がゲームのプロフィールに使用していたセリフは、ジョジョからの引用だった。ゲームの雰囲気に合った素敵な引用だった。

昨年の12月、社員旅行でイタリアに行ってきた。
ガイドについて、分からないことがあった。観光中、日本の旅行会社に所属する方がずっと付いてくれたのだが、彼女は立場的には通訳らしい。彼女とは別に、必ず現地の人が同行していた。街単位で入れ替わる彼らが、ガイドである。
しかし、彼らの中には自撮りにいそしむ人、いなくなる人、電話をする人もいて、あまり、仕事をしているようには見えなかったし、通訳の方は知識も豊富で一通りの説明が可能である。「どうしてここにいるんだろう?」という疑問があった。
何人かが同じことを不思議に思っていたらしい。
「マフィア絡みかな? みかじめ料をもらうために彼らはいるんだろうか」幹事に話すと「いやあ、でも、○○○(旅行会社)ですよ。そんなこと、ありえますかね」という返答。確かに。
我々の知識が足りないだけだった。通訳の方に直接訊いてみると「法律で決まっているんです」という回答。なるほど、マフィアは関係なかった。
たとえばの話、俺の友だちがイタリアに住んでいるとする。俺が友だちを訪ねて一緒に観光する。そのとき、友だちは「ガイドが行うような説明や案内をしてはならない」という法律があるらしい。罰金も。
保護法益は、自国民の労働だろうか? これは俺個人の推測である。

夜、一人でお酒を飲みに行く。屋根のある場所では煙草が吸えないという原則があるらしいが、俺が行ったバーも禁煙で、灰皿は店の外にあった。煙草を吸いに出ると、おそらくは10代後半から20代前半と思われる男の子に「煙草をくれないか?」とたかられた。イタリアの人だろうか? 英語だった。俺は少し考えて「きみは俺の友だちか?」と質問した。彼は調子よく「もちろんじゃないか」と答えたので、一本渡した。彼はすぐにいなくなった。
こんなことを書くとまた「嫌な考え方をしている」と思われるかもしれないが「どうでもいい適当な会話をひとつ消費したな」とそのとき俺は思った。

お土産に栓抜きを二つ買ったのだが、それはまた別の機会に。

そうだ、俺にとって大切なことがもう一つ。仮説の検証が終わった。

生活が元々不規則な我々は、時差ボケに対して強い耐性を持っている。ちょっと眠いときもあったけれど、いつも通りだった。

「君と夢を語り合うのは死ぬ間際でいいや」

マチュアにはアマチュアなりのこだわりというか信念というか、そういうものがあった。たぶん、初めてのことだと思う。俺は信念を曲げた。もしくは、俺の信念が曲がった。
やってみたいと思ったのだ。
今年の初めに、飲み友だちと話していた。
「どうだろ?」
「やってみましょう」
我々が握手を交わしたかどうかは忘れてしまった。たぶん、交わしていない。

色々と調べているうちに、やって良いことと悪いことが分かってきた。そりゃそうか。「怒られるまではやろう」というところで話はまとまったけれど、今ではもう一切の迷いがないと言えば、それは嘘になる。相手に伝えてはいないけれど、迷いはある。

礼儀の話だ。俺の礼儀と他人の礼儀。

趣味で文章を書いているわけだが、若干、作り方が変わった。

これまでは、ぼんやりと筋道を考えて、六割くらい頭の中で出来上がったら見切り発車で書き始めていた。今回は違う。最初から最後まで考えないとたぶん駄目だ。
初の試みなので、手探りの状況が続いている。
思いついたことを片っ端からメモしているが、これは順番がバラバラだし、まとまっていない。俺は絵が描けないから、ラフテキストという言葉をとりあえずは当てはめた。俺以外の誰かが読んだところでよく分からないだろう。プロットですらない。分かるようにしなくてはならない。

ノートの他に単語帳を買った。

ラフテキストに書いたことを、単語帳に反映させて、順番を並び替える作戦だ。80枚。これで、最初から終わりまで。

早くはない、遅くはない。始めたら始まりさ。

タイトルとは違う歌だけれど、何度も引用している詞である。

始めよう。始まった。

「僕ら、有刺鉄線を越え」

直近、といっても2〜3年経っているのだけれど、日記のタイトルの引用元を並べてみた。友人や知人の言葉が元になっているタイトルは省いている。尚、今日のタイトルは、THE BACK HORNの『サニー』より。

「嫌なものを嫌と言っていたら、こんな今日に流れ着いた」空っぽの空に潰される / amazarashi
「お料理研からおたまは既に失われた」氷菓 / 米澤穂信
「太陽系を抜け出して、平行線で交わろう」平行線 / さユり
「時効なんてやってこない、奪ったように奪われて」ゴーストルール / DECO*27
「僕のボスなら僕だけだ」ぞうきん / 斧出拓也
「ずっと夢をみて、安心してた」デイドリームビリーバー / ザ・タイマーズ
「おい、どうすんだよ?」「もう、どうだっていいや」ロストワンの号哭 / Neru
「午前3時の交差点*1」夢見る少女じゃいられない / 相川七瀬
「納めましょう妄想税、皆様の暮らしを豊かにするために」妄想税 / DECO*27
「何時に着いたの? お前の住む町」Arrival / とんねるず
「見馴れていた右手、それが掴みかけていた君の心を見失って」Vector / PAMPAS FIELD ASS KICKERS
「いつもの英雄は、今日はどうやら――」THANK U / PAMPAS FIELD ASS KICKERS
「ラジオから春の歌、もうそんな季節ね」桜ロック / CHERRYBLOSSOM
「私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか?」アインシュタインロマン / NHKスペシャル
「きっと、また好きなる」Angel Beats! / 麻枝准
「いらないと思える以上は何かしら興味があるものさ」ピーチボーイリバーサイド / クール教信者
「朝も昼も夜も風が南へと」BOY MEETS GIRL / trf
「あいつらの鼻歌が耳障りだ」ハミングを鳴らせ / The Homesicks
「幸せな妄想を描いては打ち消して」空気正常 / 越川くん(id:koshikawa
「別に言うほど仲良くはないけど。不意に浮かんだ、地下鉄のホームで」春夏秋冬 / The Homesicks
「僕はスパイになんかなれない」SPY / 槇原敬之
「言葉はまた途切れてく 漂うことができなくて」あましずく / サキムラさん(id:sakimura
「だから今日は記念日だ。戦った僕の記念日だ」空っぽの空に潰される / amazarashi

*1:原詞は時刻が異なる

「嫌なものを嫌と言っていたら、こんな今日に流れ着いた」

今の会社に入ったとき、従業員の数は24人だった。あれから10年経った。今いるのは64人。おおよそ2.5倍に増えた計算となる。

様々な理由で辞めていった人がいる。数日でいなくなったり、俺の出張中に入社して戻った頃には辞めていたり。退職者名簿をみると、半分以上の人の顔を思い出すことができなかった。名簿によれば、俺が入社してから今日まで辞めた人の数は92人。

先日、年に一度の全体会議があった。全国の社員が集まる日は、この日だけである。

勤続10年の表彰をされた。今までは現金が渡されていたが、今年からペリカ支給となった。もちろん、これは比喩である。単位はペリカじゃない。カイジか。どうしてこうなった。社長が仮想通貨の流行に影響を受けた可能性はある。厳密には違うけれど、印刷されたオリジナル紙幣には、一枚一枚社印が押されていた。結構な手間だったはずだ。

うまくいかないことの方が多かった。自他共に認めている。同僚が俺をどのように思っているか、すべてではないけれど、分かっているつもりだ。上司に守られていることも、自覚している。

社長からお祝いの言葉をもらい、一つの区切りがついた気がした。けれど、終わっていない。もう少しだけ、やってみようと思う。まだ終わっていない。もうちょっと、きっと、ここでやりたいことが俺にはあるはずだ。

「お料理研からおたまは既に失われた」

間の休み一日を含む、九日間の北陸出張。社宅のキッチンが使いやすく、自分の部屋にいるときよりも自炊の頻度が高い。一週間はもつだろうと予測して購入した日本酒(加賀鳶の山廃純米、720CC)は三日でなくなった。家で飲むお酒はビールかウィスキーが多いのだが、加賀鳶もおいしかった。次は、同じ銘柄の極寒純米、1800CCを選んだ。一升瓶を持って50メートル道路を横断する俺を、後輩はニヤニヤしながら撮影していた。「左手じゃなくて右手で持つべきだった。そうすれば、左にいる君は写真撮影をしようとは思わなかっただろう」「その時はまわりこむだけです」なるほど。

俺は、ほぼ毎日チャーハンか焼きそばか、もしくはその両方をつくっていたのだけれど、鍋料理に挑戦した日もある。エノキ、白菜、豚のもも肉、豆腐。本当はバラが良かったのだが、売っていなかった。

結論から言うと、土鍋とおたまを駄目にした。鍋は焦げ、おたまの何割かは溶けていた。出張がはじまって二日目か三日目の出来事である。

最後の日、俺は近所のニトリで鍋を買った。たぶん同じ柄。999円。

買ったばかりの鍋を洗っていると、起きてきた後輩が、俺の様子を少しみて「気付いたことを言っていいですか」と言った。「どうぞ」と応える。

「お料理研からはおたまが失われました」

俺の手が止まる。そして、笑った。そうだ、おたまのことを忘れていた。鍋を買って、満足してしまったのだ。

最初の日に「何かおすすめのアニメはありますか?」と後輩に訊かれた俺は「氷菓」と答えている。彼は氷菓をみて、おそらく俺がおたまのことを忘れていることを状況から推測し、俺のミスを指摘するために、アニメに出てくるセリフを引用したのだ。

感心した。

「代わりに買っておきましょうか?」「ありがとう。頼む」「もしもオジキが気付いたら、白状します」「もちろん。構わない」

「太陽系を抜け出して、平行線で交わろう」

さユりって知っていますか?」
後輩の質問に対し、俺は「名前は知っている。初めて知ったのは『乱歩奇譚』のエンディングだと思う」と応えた。「僕は『クズの本懐』で知りました」と、後輩は続けた。
クズの本懐』は、手を出したら危険な気がしていて、みていない。それは『恋と嘘』をみたときと同じようなダメージを食らうのではないかという、おそれにも近い感覚だった。もっとも、今年中にみるかもしれないという予測もある。たぶん、俺はみるのだろう。
後輩は『クズの本懐』の主題歌がさユりの歌う『平行線』であるということを教えてくれた。物語のあらすじも。彼からは、ネタバレを回避しようとしている気遣いが感じられた。
今週は、彼との二人チームである。毎日。移動中は俺が助手席に座り、音楽を掛けていた。そして、彼がリクエストしたわけでもないのに『平行線』を何度も流した。ぼんやりとメロディを追っていたのだけれど、ふと、歌詞が頭の中に入ってくるときがあった。
「太陽系を抜け出して、平行線で交わろう」
「歌っていますね」
「これって、物理学の話だよね?」
「そうなんですか?」
「光が重力で曲がることは証明されている。だったら、宇宙空間においては平行線が交わることもありえるんじゃないか」
「ああ、たしかに」
「凄い歌だね」
「物語に合わせて作られた歌なのかもしれないですね」
「なるほど」

やっぱり、みることになりそうだ。

以前、仲間とカラオケに行ったときに「恋愛の歌、ほとんど歌わないんですね」という指摘を受けたことがある。そうか。そうかもしれない。歌うことじたいが得意ではないのだけれど、そうだ、俺は歌を知らない。
『平行線』のテーマは恋愛である。この認識は、おそらく大筋で間違っていない。けれど、その一部分には物理学の視点も含まれている。もしくは、物理学の視点から恋愛を観測している。たぶん、こじつけではないと思う。歌詞のなかにある「太陽系の常識」は、一般的な物理法則と解釈することも可能である。良い歌なので、知らない方は是非、聴いてみてほしい。みんな知っているか……。いや、知らない人だっているかもしれない。おすすめである。

「ちょっと息継ぎが気になりますね」
後輩の感想をきいてからというもの、俺もさユりの息継ぎが気になるようになってしまった。
「たしかに。彼女のことが好きな人は収録されているブレスも含めて好きなんだろうなあ」
「息継ぎかわいい、ですね」

俺は携帯電話でさユりのアルバムジャケットを眺めていた。そして、ハッとした。
「ねえ、これみて」
そこにあったのは『酸欠少女』という言葉。彼女の二つ名。我々は「なるほど!」と納得した。

「酸欠世代ってなんですか……一般的な言葉なんですか?」
「言いたいことは分かる。この言葉を作った人がどういう思いで作ったのか。けれど、俺もきいたことがない」

「時効なんてやってこない、奪ったように奪われて」

9月10日の日曜日、小田急線が止まった。
新宿で電車に乗り、座って間もなく眠ってしまった。目が覚めたら止まっていた。繰り返し、アナウンスが流れている。要約すると「電車に乗ったままでも構わないが、復旧の見込みが立っていない。一時間、二時間、待たせてしまうことになるかもしれない。緊急措置として1号車の扉を開けた。一人ずつ、降りてもらっている。最寄りの駅は南新宿駅」といった内容。
時刻を確認すると、16:40だった。乗ったままでは、おそらく18:00の約束に間に合わない。下北沢に、行きたかった。
俺のいる7号車から出口のある1号車まで、ずらりと人が並んでいる。10分経っても15分経っても、まったく先に進まない。
困った。「どうしようかなあ」と考える。同じ車両に乗っていた和服姿の女性が電話をしていた。
「まるで対応がなっていない。役員を呼びなさい。警察も動かしなさい」
そんな感じの内容を、穏やかな口調で話している。電話の先には誰がいるのだろう。
秩序は保たれていた。皆、おとなしく並んでいる。騒いでいる人は、少なくとも7号車にはいなかった。他の車両も、大きく変わらないのではないだろうか。

列車内に「緊急の際は」という掲示があった。今は、緊急事態だろうか? 緊急事態である。

俺は、座席の下にある、金属製の小さなフタを外した。赤色のレバー。説明書きの通りにレバーを引く。たしか、90度。エアーの抜ける音。10秒くらい。ドアを引いてみた。ロックは解除されており、手動で開いた。
友人の指摘を思い出した。友人の言うとおりだと思った。飛び降りて、踏切を目指した。振り返ると、俺の近くにいた男性客が開いた扉から外の様子を覗いていた。

友人の指摘。それは、原文ままではないけれど「きみは、良いことと悪いことを自分で決めるところがある」というものだった。
今回、俺のやったことは、おそらく刑法には抵触しない。ただし、鉄道営業法の三十三条と三十七条は怪しい。「運転中」と「みだりに」の解釈次第で、引っ掛かる。
それでは、法律から離れてみるとどうだろう。倫理的に、道徳的に。
まったく非がないとは思っていない。
しばしば俺は「巻き込みたくない」という考え方をするのだけれど、今回は「誰かを巻き込む危険性」があった。おそらく、非の正体はここにある。だからきっと、俺は一人じゃなかったらレバーを引いていなかった。
けれどこの仮定は、俺の知っている人が周囲にいるかいないかという意味でしかない。実際は、乗客が他にも沢山いたのだから、そもそも俺は一人ではなかったともいえる。
俺の開いたドアから他の誰かが降りたとして、その人に何かがあった場合、俺は責任を取れるのか? 取れない。ここが問題なのだと思う。

踏切をくぐり、タクシーに乗った。「下北沢までお願いします。小田急線のトラブルはご存じですか?」運転手は「知りません」と応えた。俺は事情を話し、南新宿駅付近には、きっと困っている人が沢山いるという予測を伝えた。

約束の時間には、間に合った。大学の先輩が出演するお芝居を観たかったのだ。

お芝居の感想に関しては、他のところに書いたので省略する。一言でいうと、とても気分の悪い話だった。

その後、俺は春日部を目指した。この日、最後の約束。到着するのが少々遅くなってしまったけれど、なんとかなった。

全ては自業自得という言葉に集約される。だけれど、きっと、俺は自分に対して「頑張った」と思いたかったのだろう。この日は、ちょっとだけ頑張った。

「僕のボスなら僕だけだ」

一言、彼に謝りたかった。

普段どおりなら、行くことができないが、その日はたまたま日勤になった。仕事を終えた俺は、ライブハウスに向かった。到着したのは彼らが出演する20分くらい前だろうか、間に合った。ワイシャツ姿の客が何人かいたけれど、スーツのジャケットを着ているのは俺だけだった。昔、友人のライブに来た方のことを思い出す。その場に俺はいなかったが、もしかしたら、その時の彼と今の俺は、同じくらいの年齢になっただろうか。それとも、今の俺の方が上だろうか。

男の人がひとり、ギターを弾きながら歌っていた。一曲聴いて「最初から見たかったな」と感じた。格好いい。大阪から来てくれたらしい。彼は、斧出拓也と名乗った。

彼の演奏が終わり、彼らが準備を始める。彼らの演奏中、演奏後、ちょっとしたビール祭りになったが、それはまた別の話。結果的に、俺は、謝ることができた。

俺は、バーカウンターの前にいた彼に「何飲む?」と訊いた。彼も、ビールを選んだ。家に帰り、本人が上げている動画をみた。タイムスタンプは2016年。

これはこれで良い演奏なのだけれど。だけれど、俺は保証する。今の方がもっと格好いい。

彼と彼と彼らと彼と。彼がいっぱいいる。申し訳なく思う。

「ずっと夢をみて、安心してた」

7月20日の木曜日、生まれて初めて川で泳いだ。
俺は泳ぎが得意ではないから、浮かぶ努力をしたというべきか。

三泊四日の出張。大阪を発った我々は三重を目指した。ガソリンスタンドの閉まる時間が想定していたよりも早く、エンプティランプが点灯してから60〜70キロ走行する羽目に。JAFやレンタカー、タクシー、あらゆる手段を頭の中で検討する。いずれも50キロ圏内にない。「車中泊は暑いだろうなあ」と思いながらの二択。右か、左か。選んだ先に、ガソリンスタンドはあった。助かった。

仕事の合間に魚飛渓というところへ行った。きっとまだ夏休みが始まっていないのだろう、遊んでいる人は少なかった。天気が良い。水は冷たい。浮力の違いを体験できた。海の場合、足先も浮いている。川の場合、足先が沈む。

とても綺麗なところだった。
伝えたかった。伝えられなかった。

友だちは言う。

「よくなかったことは、自分で勝手に見つけてしまうかもしれないから、だから私はよかったことを、簡単によかったとは言えないけれど、それでも、並べてみる」

俺は、お別れの言葉を。またね。

「おい、どうすんだよ?」「もう、どうだっていいや」

+α/あるふぁきゅん。を知ったのは今年の5月末のことで、それはここにも書いた。
6月8日のメモには、

率直な感想として、心には響かない。
響かないんだけれど。
心に響かない原因は需要にあると思う。この人は世(の中の一部)に望まれたことを表現しているだけではないか。
響かないけれど、空虚な気持ちになる。この人は、歌いたい歌を歌っているのだろうか。ノーという答えを想定しての問いではない。俺自身の考えはイエスである。
おそらく、100年後に残る音楽ではない。歌っている人も、たぶん望んでいない。
誤解を恐れずに言うなら、背景にRADWIMPSを感じる。

と書き残し、9日の明け方に「前言を撤回する。感動した」と訂正し、友人から「この24時間に何があったw」と言われた。

何があったんだろう? 仮説はある。こじつけである可能性も否定できないが。

手元にはCD三枚分の音源があるのだけれど、最初のころ主に聴いていたのは一枚目と二枚目だった。全ての曲というわけではないけれど、ボーカロイドのカバーが比較的多いらしい。
彼女自身の言葉を借りて良いなら、それらは真の意味では、彼女の歌じゃない。
RADWIMPSを感じたのは、彼女からではなく、作者からかもしれない。

三枚目は、違う。それは、彼女のために書かれた歌であり、彼女が仲間と一緒に作った曲なのだ。「何があったのか?」という問いには「三枚目があった」という答えが、一応は当てはまる。

誤解を恐れて言うのだけれど、ここまで、俺は一切否定的な感想を述べていない。

6月24日、俺はライブのチケットを買った。そこには、不純な動機も含まれていた。
それは「ライブではどんなふうに歌うんだろう?」という好奇心である。

7月29日の土曜日、お休みをいただき、原宿に行ってきた。

客層は想定していた通りだった。やはり若い人たちが多い。俺のようなおっさんもゼロではないが、少数だ。きっと、多くの人たちがニコニコ動画時代からのファンなのだろう。

ライブは同期音源有りで行われた。馴れる前は「こっちが録音で、こっちは生音で」と、落ち着かなかった。

この人、凄い。

全ての演奏が終わり、彼女は客の一人ひとりを見送った。かすれた声で「ありがとうございます」と。俺は、最初、目を合わせることができなかった。びびりながら、一言だけ感想を伝える。それは、最初に思い浮かんだ言葉ではなく、考え直した言葉だった。声が小さくて伝わらなかったかもしれない。

三枚目をたくさん聴いた。これがファーストかもしれないと思いながら。そうして、一枚目と二枚目に戻ると、なんだか、最初とは印象が違った。タイトルは、二枚目に収録された曲からの引用である。

というか、すげーかわいかった。

「午前3時の交差点」

7月9日の日曜日はお休みだった。
夜明け前に仕事が終わり、同僚とビールを飲み、家に帰って少し寝た。夏にエアコンを使わないという試みは今年で三回目になる。扇風機を使っている。
昼過ぎに暑くて起きた。ビールやアイスコーヒーを飲みながらゲームをする。眠ったのは、22時か23時頃。

月曜日の午前3時頃、友人のKさんから電話があった。

「今、俺は交差点にいます」
「ん、うん」
「これから家に行こうと思いまして」
「それだけはやめて」

部屋がとても汚い。誰かを招待できる状況ではない。

「でも分からなくて。悲しいじゃないですか。××さんや△△さんは知っているというのに」
「隠しているわけじゃないんだけれど」
「お話があります」
「う、ん」
「これから家に行きます」
「待って。分かった。どこの交差点?」
「○○と■■の」
「では、30分後に□□で」

話している途中、共通の友人であるSさんからも電話があった。
「Kさん、Sさんからも電話が」
「今いっしょにいます」
「どうして二人いっしょに掛けてくるんだ……」

午前3時という時間は、絶妙な時間だった。今回はたまたま起こされる形になったけれど、休みの日であれば起きていることが多いし、仕事の日でも、忙しくなければ出られるからだ。
Kさんが話したいこととは、俺が黙っていたことについてだった。不自然な沈黙であるという自覚はあったのだけれど。話したくなかったわけじゃない。だけれども。同席しているSさんは俺を気遣ってくれた。きっと、二人とも察してくれていたのだ。俺は、言葉を選びながら、慎重に答えた。
「伝わった、かな」
「はい」
Sさんは、相川七瀬の歌を口ずさんだ。歌詞が0時から3時に改変されていることに気づいたのは、しばらく経ってからのことである。
また、まったく別の話であるが、俺はSさんの指摘に驚いた。過去、彼に話した記憶はないのだけれど、その指摘は当たっていた。

「凄いね。たぶん、その通りだ」

なんで分かるんだろうなあ。

「納めましょう妄想税、皆様の暮らしを豊かにするために」

三週間ほどの出張で関東を離れている。一週間単位の出張はよくあることだけれど、ぶち抜きは珍しい。スケジューラーが気を遣ってくれているということもある。「週末、帰ってきてもいいよ」上司に言われた俺は「経費がもったいないので」と答えた。半分は会社の都合、もう半分は俺の都合である。

一週目は大阪。月曜から金曜まで働いて土日休み。土曜を大阪で過ごし、日曜日に移動した。土曜日、大阪で人と会い、少々不愉快な思いをした。それはまた別の話で、何が不愉快だったのか、俺は二週間ぼんやり考えることになる。自分なりの結論は出て、すっきりした。
二週目は九州。月曜から土曜日まで働いた。三週目は再び大阪である。本当は、休日の日曜日に移動するつもりだった。「日曜に移動するんですか? 俺も日曜休みだから、一緒に飲みましょう」同じ出張組の後輩が誘ってくれたということだけが理由ではないが、結局、俺は二週目の日曜日を福岡で過ごした。酒を飲みながら後輩とモンスターストライクで遊ぶ。これもまた別の話であるが、俺は、比較的このゲームを真剣にやっている。後輩は、ゲームの上では先輩にあたる。

我々が勤める会社には、アニメ好きが何人かいる。九州に所属するYは、我が社で三本の指に入るアニメ好きである。Yと同じチームになった日は、車での移動中、主にアニメの話をしていた。片道二時間ならば往復で四時間。Yが運転し、俺は助手席に、他の同僚は後部座席に。車とYの携帯電話はトランスミッターでつながっている。彼の好きな音楽が流れ続ける。気になる歌があった。おそらく、知らない人だった。歌詞を聴き取り、検索する。曲名が分かった。

「この歌は?」
エルドライブのオープニングテーマですね」

アルバムを一枚、iTunesで買い、一週間、彼女の歌を聴いている。今、一番好きな曲をYに伝えた。ボーカロイドのカバーらしい。Yから返信があった。そうなんだよ、俺もそう思うよ。

そういえば、と気がついた。

「どういう人が好きなんですか?」何週間か前にそう質問されて、俺は答えることができなかった。一応の回答が見つかった。確信はないし、全部ではなく一部であるような気もするが。今度会ったら伝えようと思う。

明日、関東に戻る。

「何時に着いたの? お前の住む町」

仲の良かったバーテンダーからメッセージが届いた。要約すると「もう一度はじめます」という内容だった。

色々なことがあったのだろう。そして、その中にはきっと良くない出来事が含まれていたに違いない。何があったのか、知っている人もいたけれど、俺は聞かなかった。

「いつか、本人から聞こうと思います」「そうですね、その方が良いかもしれませんね」

俺は二つの意味を込めて「待っていた」と言った。「大変お待たせ致しました」という返事。彼も、二つの意味を込めたのではないか。勘の良い人だから。