「時効なんてやってこない、奪ったように奪われて」

9月10日の日曜日、小田急線が止まった。
新宿で電車に乗り、座って間もなく眠ってしまった。目が覚めたら止まっていた。繰り返し、アナウンスが流れている。要約すると「電車に乗ったままでも構わないが、復旧の見込みが立っていない。一時間、二時間、待たせてしまうことになるかもしれない。緊急措置として1号車の扉を開けた。一人ずつ、降りてもらっている。最寄りの駅は南新宿駅」といった内容。
時刻を確認すると、16:40だった。乗ったままでは、おそらく18:00の約束に間に合わない。下北沢に、行きたかった。
俺のいる7号車から出口のある1号車まで、ずらりと人が並んでいる。10分経っても15分経っても、まったく先に進まない。
困った。「どうしようかなあ」と考える。同じ車両に乗っていた和服姿の女性が電話をしていた。
「まるで対応がなっていない。役員を呼びなさい。警察も動かしなさい」
そんな感じの内容を、穏やかな口調で話している。電話の先には誰がいるのだろう。
秩序は保たれていた。皆、おとなしく並んでいる。騒いでいる人は、少なくとも7号車にはいなかった。他の車両も、大きく変わらないのではないだろうか。

列車内に「緊急の際は」という掲示があった。今は、緊急事態だろうか? 緊急事態である。

俺は、座席の下にある、金属製の小さなフタを外した。赤色のレバー。説明書きの通りにレバーを引く。たしか、90度。エアーの抜ける音。10秒くらい。ドアを引いてみた。ロックは解除されており、手動で開いた。
友人の指摘を思い出した。友人の言うとおりだと思った。飛び降りて、踏切を目指した。振り返ると、俺の近くにいた男性客が開いた扉から外の様子を覗いていた。

友人の指摘。それは、原文ままではないけれど「きみは、良いことと悪いことを自分で決めるところがある」というものだった。
今回、俺のやったことは、おそらく刑法には抵触しない。ただし、鉄道営業法の三十三条と三十七条は怪しい。「運転中」と「みだりに」の解釈次第で、引っ掛かる。
それでは、法律から離れてみるとどうだろう。倫理的に、道徳的に。
まったく非がないとは思っていない。
しばしば俺は「巻き込みたくない」という考え方をするのだけれど、今回は「誰かを巻き込む危険性」があった。おそらく、非の正体はここにある。だからきっと、俺は一人じゃなかったらレバーを引いていなかった。
けれどこの仮定は、俺の知っている人が周囲にいるかいないかという意味でしかない。実際は、乗客が他にも沢山いたのだから、そもそも俺は一人ではなかったともいえる。
俺の開いたドアから他の誰かが降りたとして、その人に何かがあった場合、俺は責任を取れるのか? 取れない。ここが問題なのだと思う。

踏切をくぐり、タクシーに乗った。「下北沢までお願いします。小田急線のトラブルはご存じですか?」運転手は「知りません」と応えた。俺は事情を話し、南新宿駅付近には、きっと困っている人が沢山いるという予測を伝えた。

約束の時間には、間に合った。大学の先輩が出演するお芝居を観たかったのだ。

お芝居の感想に関しては、他のところに書いたので省略する。一言でいうと、とても気分の悪い話だった。

その後、俺は春日部を目指した。この日、最後の約束。到着するのが少々遅くなってしまったけれど、なんとかなった。

全ては自業自得という言葉に集約される。だけれど、きっと、俺は自分に対して「頑張った」と思いたかったのだろう。この日は、ちょっとだけ頑張った。