「僕はスパイになんかなれない」

同僚のMさんと一緒に、スパイになってきた。

クライアントから連絡があった。「××がセミナーをやるらしいですよ。場所は××で、参加費用は××円です」

我々の職種には特殊な面があり、そのひとつに同業との交流が皆無という点が挙げられる。したがって、他社がどのようなサービスを提供しているのか、我々は噂でしか知ることができない。クライアントからの連絡は、もしも興味があるなら私たちの名前を使ってもいいですよという申し出だった。「行ってみたい」と答えた人は数名。結局、俺とMさんが行くことになった。Iも立候補したのだが、ストップが掛かった。Iはセミナーで何度も講師を務めているため、他社ではなく参加者に気づかれるかもしれないというのが理由だった。

「知っている人、いないといいですね」俺が言うとMさんは「どうやって誤魔化しましょう」と。うん。どうしようね。

結論から言うと、俺とMさんはスパイとして三流だった。特にMさん。「きみ、違うよね?」と講師に指摘されたとき、隣にいた俺は「ばれてるよー。俺たち、たぶんばれてるよー」と思っていた。セミナー後に、どこが不自然だったのか、俺はMさんに伝えた。俺も大差ない。突然講師から質問が飛んできたとき、とっさに正しい答えを言ってしまった。間違えた方が目を付けられなかったのではないか。

個人的な収穫は、あった。

それは、講義の内容ではない。

外に出ると、聞こえてくる名前がある。仮にO氏とする。

正直にいうと、俺は自分の会社の方が他社よりも優れていると思っている。経営者も、社員も。セミナーの内容も、他の仕事も。だけれどきっと他社にも凄い人がいるんだろうなあと思っていた。O氏の評判は大変良い。どんな人なのか、興味があった。

セミナーにおいて、メインの講師は他にいた。だけれど、O氏も名乗る場面があった。「彼が、そうなのか」感心した。

こんなことがあったんだよ。俺は友達に話す。

顔とか名前とか。髪型とか声とか。大事なことなのだろうか? ずっと考えていた。今も考えている。「俺、Oさんという人を初めてみたんだ。なんだか嬉しくなっちゃって」

そう、俺は嬉しかったのだ。大切なことかどうかは分からない。そして、彼と接することは、おそらくこの先訪れない。一緒に働くこともないだろう。酒を飲むことも、話すことも、ないだろう。

かつて、俺は自分が働くということがどういうことなのか想像できなかった。働き始めた年齢も、まわりの人たちと比べると遅い。社会人ってなんだよと思っていた。今も少し思っている。だけれど、もしかしたらと考えている。

働くということは、もしかして自分にとっての他人が増えるということなんじゃないか? 

今更かもしれないが。考えることが増えた。