「僕と君と、あなたと私がいて」

「動機の言語化か。あまり好きじゃないしな」

クロロ=ルシルフルのセリフは、衝動に対する理由の後付けが本意ではないという意味だろうか。俺はというと、比較的言葉や文字に起こすことが多い。仮に説明になっていなくとも、自分が納得できればそれでよいと思っているのかもしれない。ジャイロ・ツェペリのセリフも引用したい。

「納得は全てに優先するぜッ!! でないとオレは前へ進めねえッ!」

3月25日の夕方、友達にメッセージを送った。要約すると「やってみようと思う」という内容だった。彼に宣言するのは、これで何度目だろう。頑張ってみると言いながら投げ出したりそっと仕舞ったり、そういうあれこれがいくつかある。他方、一応は形になったものもある。彼はいつだって「楽しみにしている。頑張って」と言ってくれた。これも意訳だけれど。たぶん、違う言葉だった。動機も伝えた。それは、彼に宣言した理由だった。

「君に言えば、俺、ちゃんとやるかもしれないから」

今回は、ソロプレイである。継続しているチームプレイもあるけれど、この話は俺で始まって俺で終わる。締め切りは一年後に設定した。読みかけの本を読もう。読んでいない本も読もう。君が聞いてくれるから形になる物語がある。いつもありがとう。