「やばいことになっちまった。トニーの奴がしくじった」

約束を破ってしまった。二度寝。カレーが終わる時間に起きた。
真大さんには言ってなかったが、その日は正人さんとも約束していた。
「俺、火曜休みだから。一緒に飲みましょう」
「それならカレーを食べに行こう。19時半までやっているって。一人で行くつもりだったのだけど」
「真大さんのお店を○○さんが借りるって話ですよね。彼のことは俺も知っています。行きましょう」
正人さんについては、前にも書いたことがあると思う。彼のお店は先日14周年を迎えた。入れ替わりが激しいと言われているススキノでそれだけ長い期間看板を掲げているのは凄いと思う。俺は出張の時にチャンスがあれば顔を見にいくが、頻度を考えれば常連客というほどではないだろう。それでも、彼は俺のことを覚えている。思えば、そうだな、俺のことを覚えてくれている店主は多い。覚えて欲しいとは思っていないし、覚えてもらうように何かをしているつもりもないのだが。彼らは、やはりプロなのだ。
何より俺を誘ってくれたことが嬉しかった。仕事上、休みの日に客と付き合うことは少なくないと想像している。だけれど、なんというか、嬉しかった。仕事の外にある話であるかもしれないからだ。俺も彼も夜働いている。夕方集合は早いと思っていたが、さすがに起きられるだろう。目覚ましも三重に掛けた。
結果は先に書いた通りだ。寝坊した。まずいなあ。
「寝すぎました。すみません!」
正人さんから連絡があったのは、19時45分。君もか。笑う余裕はなかった。正直に言うと、連絡があるまで俺との約束を正人さんが忘れていてもおかしくないと思っていた。我々はお酒を飲んでいた。侮っていたことを、今度会った時に謝らなければならない。
「俺も今起きた。こっちこそごめん」
二人とも、どうしようもない。
「とりあえず、謝ってくる。正人さんとの約束は真大さんに話していない。俺に何かあったら骨は拾ってくれ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
真大さん、武闘派だからなあ。これは比喩ではなく事実だ。合気柔術の師範らしい。いくつかの崩し方を見せてくれたのだけれど「ああ、これ武道だ」と俺は思った。容赦ないというか、手段を選ばないというか。不安じゃなかったと言えば嘘になるけれど、だけれど自分が正しいと思うことをしよう。電話じゃ駄目だ。
お店についたのは21時くらい。お客さんは俺の他に三人いた。
「真大さん、ごめんなさい」
「ん?」
「約束を破りました」
「ん。ああ」
真大さんは「いいよ」とにっこり笑った。「覚えていて、ちゃんと店に来たんだものね」お客さんの一人が言った。
「飲んでいきなよ」
カレーはしっかり繁盛していたらしい。午前中に真大さんが様子を見に行くと満席で、彼が手伝ったとか手伝っていないとか。普段は平岸でお店をやっているらしい。なるほど。
約束はしない。懲りた。けれど、行こう。平岸。これは、誰にも言っていない。
瓶ビールを一本、むぎ焼酎のお湯割を一杯。真大さんは、水を鍋であたためていた。
「もう帰るのかい?」
「明日、来れるかもです。これ、約束じゃないですからね」
「俺、約束したって思っちゃうんだよなあ」
「約束じゃないですからね!!」
真大さんはいつも通り、俺をエレベータまで見送ってくれた。
23時45分ごろ、正人さんから改めて連絡があった。
「二度寝して、今、飲んでます」
今度は、俺は笑うことができた。
「真大さんとのことは大丈夫。約束が先延ばしになるって、楽しみでしかないよね」
いつか、一緒にお酒が飲めたらいいね。