踊ってみた

火曜日に踊ってみた。

タオルとジャージを、踊る人が用意してくれた。

後輩を誘っていたので、抜け駆けする形になったが、後で謝ろうと思った。


踊ることが決まっていたなら、俺は、もう少し睡眠を摂っていただろうかと一瞬考える。つまりは、3時間弱のトレーニングを乗り切る力が今の自分にあるだろうかと考えた。やってみたことがないので判断できない。でも、たぶん大丈夫だろうと考えた。寝ないで働いても文字通りの意味で倒れたことは一度もない。きっと頑丈にできているのだと思う。加えて、今回はそれなりに眠っている。万が一問題が発生したときは寸前で離脱すれば良い。迷惑を掛けるわけにはいかない。最も大切なのは、俺が俺を鍛える必要性が明確に存在するという事実だ。これが最優先事項である。他は二の次。

緊張する。ほぼ31歳の、夏の挑戦。

先生は俺を歓迎してくださった。やれるだけやってみよう。目標は二つあった。ひとつは完走すること、もうひとつは、邪魔にならないように気をつけること。

一度見学をしたことがあるので、流れは分かっている。いわゆる『ダンス』は三分の一ほどで、残りの時間は筋トレや柔軟にあてられる。

どちらかというと、俺の生活は不自然で不規則だと思う。夜に起きて昼に眠る。たまに、夜も昼も起きている。メンテナンスが必要である。そして、調整は我流ではなく正しい形で行われなくてはならない。ほぼ同じ時期に入った同僚が身体を壊した。非常に残念であるが、おそらくリタイアすることになると思う。彼は俺が知る限り一切のメンテナンスをしてこなかった。痛い痛いと心の中で呟きながらそんなことを考えていた。

レッスンは振りに入る。異国だ。異国に迷い込んでしまった。そんなふうに感じた。言語が異なる。相手が何を言っているのか、全く理解できない。とても緊張した。初めてなのだから、先生は俺が理解できていないことに気付いている。だから、理解できないということに対して緊張する必要はない。頭では分かっている。しかしながら芯に達していない。思考は「緊張しなくていい」と結論を出しているのに身体の緊張がとけない。初めて現場に出た夜を思い出した。「3年働いている振りをしろ。分からないことがあったら打ち合わせをするように訊きにこい。素人くささを出すな。クライアントが不安になる」通じるものがあるかもしれない。見よう見まねで良いのだ。そのことを身体の芯から理解するまで、なんとかするしかない。しばしば、踊る人の動作をみていた。格好よかった。とても格好いい。そんなときだった。「一列前に」もう一人の踊る人が俺を促した。俺は一番うしろにいた。「いやいやいやいや自分はここでいいです」とジェスチャーで返す。返してから、彼の意図が分かった。一番うしろにいると、振り返ったときに前に誰もいない状況になる。一列前に行けば、振り返ったときももう一人の踊る人が前にいる。気を遣わせている。思いながら、ありがたく一列前に陣取った。

目標ではないが、もうひとつ気をつけていたことがある。

時計をみない。

蛍の光が流れる。終わる。もうすぐ、終わる。

繰り返しになるが、俺は俺を鍛える必要がある。

初めてのダンスレッスンが楽しかったのかどうか、今でも分からない。苦楽を判別する余裕がないまま始まって終わったから。ただ、こうも思う。3時間弱のトレーニングは、3時間の現場よりも身体的にきつい。つまり、トレーニングを繰り返すことによって、現場で余裕が生まれるという確信があった。身体的な余裕は、注意力と集中力に加算される。精度が、上がる。

やはり必要だというのが、俺の今の結論である。

よこしまな動機がふたつ、比較的正当な動機がひとつ。踊りを続けてみようと思う。

トートバッグの中に、水の入ったペットボトルが2本入っていた。

「……」

「うあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

誰かの水をグビグビ飲んでしまった。間違えて持ってきてしまった。

「あの新人!! 私の水を持っていったな!!!」

絶対にバレている。きっと彼女のペットボトルだ。心当たりがある。そして、彼女は気づいているという確信がある。怖い。

翌々日の現場で、肩のうしろ、上の方の腹筋、腰のうしろ、もものうしろと内側、おしりの側面で乳酸が活き活きと踊り始めた。わっしょいわっしょい騒いでる。果てしない筋肉痛を無視して羊を検査した。