黒い羊の沈黙

ちょっと前から、とある牧場が非常に面倒くさいことになっている。

ある夜、親方が黒い羊を見つけた。白い羊の中に巧妙に隠れて、牧場主に気づかれないように草を食べていた。その分、少しずつではあるが白い羊が痩せていった。
理解してもらうまでが難儀な仕事である。定期的に牧場を見回って黒い羊がいないことを確認し、結果を報告する。黒い羊はいませんでした。やがて、主は考える。本当に黒い羊なんているのだろうか。うちは関係ないのでは。この人たちは、不要な存在かもしれない。そのような中で黒い羊がひょっこりみつかったときの衝撃は果てしない。
できることなら、黒い羊が紛れ込んでほしくないと思う。だけれど、黒い羊が契約の継続につながる事実も否定できない。極端にいえば、この世から黒い羊がいなくなったら、俺たちは不要な存在となる。


俺たちの仕事は、黒い羊を見つけることである。羊飼いは、羊を育てるプロだけれど、白と黒の見分けがつかない。一方で、俺たちは羊の育て方を知らない。牧場を走り回るということや羊と触れ合うという意味においては、俺たちも羊飼いも同じだけれど、役割がまるで異なる。

「誰が、黒い羊を牧場に放ったか?」という、普遍的な問いがある。確かにというより他にない。

怪しい雲行きになったと感じたのは翌日だった。いくつかの状況が、よろしくない方向を指し示していた。

俺たちの仕事はあくまでも黒い羊を見つけることであって、そこに犯人探しは含まれていない。これは、とても大切な事実だ。第一、俺たちは犯人を探すプロじゃない。しかし、オーナーの声は違った。「犯人を見つけ出してくれ。それも含めてあんたらの仕事だろう」冗談じゃない。冗談じゃないが、うちの社長はゴーサインを出した。できるだけのことをやれ。それが、社長の指示だった。何を考えているのか、俺たちには分からない。どうして探偵や警察の真似事をしなくてはならないのだろう。できるわけがない。

色々な、黒い羊を見てきた。その場にいた誰もが、同じ結論に達していた。暗い気持ちになった。いくつかの状況が、犯人は牧場の中にいるという事実を暗示していた。

アリバイを洗い、羊飼いひとりひとりと面談を行う。そう、面談である。面談に立ち会ってほしいという依頼を受けて、親方と俺は牧場を訪れた。実際に行われたのは、取調べだった。雇われている牧場主が、羊飼いをひとりひとり呼ぶ。黒い羊が見つかったことを告げる。状況から、犯人は身内である可能性が高いことが分かった。何か知らないか? 最近怪しいと感じる奴はいないか? 取調べは数時間に及んだ。ある羊飼いは、明確に落ち込んだ。自分が疑われているということ、もしくは、仲間が疑われているということ。ある羊飼いの表情は痙攣の症状を起こしていた。極度の緊張によるものだろう。いったい彼が何をした。真っ白だったらどう責任を取るんだ。疑ってごめんねで済む話じゃない。

確たる証拠はない。あるのは、黒い羊がいたという事実だけで、それは犯人を特定する手掛かりにはならない。それでもやれとオーナーはいう。うちの社長もいう。夜は牧場をみてまわり、昼は犯人探しを行った。そんな日がしばらく続いていた。

「俺、黒い羊を見つけないほうが良かったのかな」親方が呟いた。答えるまでもなかった。きれいごとに聞こえるかもしれないけど、親方はプロとして当たり前のことをした。そのまま黒い羊を放置していたらどうなったか、それも考えるまでもない。牧場がひとつ、消えていたかもしれない。それだけの脅威が、黒い羊にはある。

オーナー直属の部下ふたりと俺たちでチームを組んで犯人を絞り込んでいった。

打ち合わせの中で、オーナーサイドの彼らは自らの推理を披露する。くだらないと思った。俺は親方をみた。軽く切れていた。表情は柔らかいままだが、明らかに怒っていた。親方は反省していた。「俺は駄目だ。すぐ表情に出てしまう」「よほど親しくなければ気づかないですよ」
俺はレポート用紙に名前と時間を書いて、考えていた。憶測で自白に持ち込めるか? 無理だろう。証拠がない。ならば、憶測をするだけ無駄である。この人たちは、まったくもって無駄な話をしている。少しずつ俺も腹が立ってきた。
二人きりになる機会があった。「お前は、まったく話に参加してないよな。俺も嫌だから最小限に留めているけど」「考えてました」「何か思いついた?」「俺たちは、誰に何をアピールすればいいのか考えてました」「ん」「黒い羊を招き入れた羊飼いは執拗な取調べを受けるという事実を、あの牧場の一部の羊飼いにアピールすればいいのか」「ふむ」「何が何でも犯人をみつけてやるという意志をオーナーに見せればいいのか」「うん」「オーナーが所有するすべての牧場のすべての羊飼いを脅迫すればいいのか」「うーん。どれもありうるね。でもそうだな。アピールという考え方はなかったな。俺は、どのような結果を出せばオーナーとうちの社長が納得するのか考えていた」「犯人の特定は不可能です」「そうだね」

親方が、牧場主が犯人である可能性を、オーナーサイドに話した。率先して取調べを行っている彼こそが、犯人であるかもしれない可能性を示した。ありえない話じゃない。いや、十分にありうる話である。しかし、オーナーサイドは全否定した。彼は犯人じゃない。根拠を教えてくれた。どれも根拠とは呼べない代物だった。この人たちは、駄目だ。クライアントのことを悪く思うのは論外だけれど、でも、この人たちは、前提が欠けている。先に進みたいのなら親方の話を聞いた方がいい。まずは、話を聞くべきなのだ。さすがの親方も、話をまったく聞くつもりがない人を相手に分かりやすく物事を教えるほど優しくはない。

俺や親方が正しいと思うことではなく、彼らが正しいと思うことを提案するしかない。

「ちょっと考えたのですが、よろしいですか?」

俺は、俺が正しくないと思うことを提案した。そうしないと、いくら時間があっても終わらないと思ったからだった。

「俺の提案を強引だと感じましたか」
「いや。あれしかなかったと思うよ。俺もそろそろ我慢の限界だったし」

二人きりになって、それから親方はぶち切れた。限界が訪れたらしい。「なんなんだよあいつら。何もわかってねえ! ああくそ腹が立つ! もう仕事したくない! 俺は今日もう仕事しない!!」「いや、現場がありますので」「くそっ」「とりあえず、レポートは自分がまとめるので、後で確認してください」「ありがとう。おなかすかない?」「すきました」「食ってくか」「そうですね」「肉でいい?」「はい」「頭にきたから肉食いたい」「そうしましょう」

一匹の黒い羊がみつかって、二ヶ月が経とうとしている。そろそろ、収束するだろうか。そんなふうに期待している。