「君を本当の嘘で騙すんだ。僕は幽霊だ、本当さ。君の目には見えないだろうけど」

ある時から、日記を始めとする私的な文章の一人称が俺になった。最近、少しだけ違和を感じている。それは、文章の内外を問わず私という一人称を使用する頻度が高くなったからかもしれないし、違うかもしれない。違和じたいが勘違いであるかもしれないし、勘違いではないにしても、頻度とは異なるところに理由がある可能性もある。いずれにしても、原因がはっきりするまでは、もしくは、俺が俺である間はこのまま行こうと思う。

3月19日、月曜日。
週末が休みになることが多いけれど、特に決まりがあるわけでもない。
ひょっこり休みになった月曜日の午前9時、俺は東京タワーの近くにいた。日差しはあたたかく、風は、つめたい。未だに冬のコートを着ている。きっともう春なのに。今日は東京を散歩しよう。国道1号線に沿って歩き始めた。

教わったとおりに歩き、立体的な交差点を渡る。交差点がひとつめの目印。やがて神谷町という駅に着く。ふたつめの目印。合っている。教わったとおりに、歩くことができている。本来はここから地下鉄に乗る予定だったが、もう少し歩いてみることにした。国道は外堀通りと交わる。直進するか、折れるか。右。

上島珈琲店という店に入る。コーヒーを注文し、喫煙席を選んだ。コンセントが開放されている。携帯電話を充電しながら、文庫本を開く。この本を買ったのはいつだろう。三年くらい前だろうか。ようやく、始まった。小説を20ページくらい読む。この小説を、俺は5月17日に読み終える。
八割ほど充電が完了したので店を出る。外堀通りを西に進む。このとき、「共有できない痛み? いま思いついた言葉。どういう意味だろう」とメモを残している。どういう意味だろう。携帯電話で音楽を聴いていた。同じ曲を繰り返し聴いていた。歌が関係しているようにも思う。どういう意味だろう。俺が共感について考えるようになるのは5月のことで、小説を読み終えるのと同様、まだ先の話である。特許庁を右手に、そのまま歩き続けると首都高速が見えた。目を凝らし、緑色の看板をみる。環状線首都高速であれば、ある程度思い描くことができた。俺は首都高速の下を歩き始めた。六本木にある、一度行ったことのある美術館が最初の目的地だった。
谷町ジャンクションの分岐を見落として、Vの字を描くように戻る形になってしまった。麻布十番という看板を目にして、間違っているかもしれないと気づいた。進路を修正する。森ビルを背に、更に歩く。たぶんこっちの方だと思うのだけれど。主に道端の地図を見ながら歩いた。約束の時間があるわけでもない。公園があった。俺は、ここで携帯電話の地図を開いた。できることなら、一切使わずに美術館にたどり着きたかったのだけれど。結局、きっと近くまで来ているという感覚は正しかった。もう少しだったのだ。
これまで美術館を訪れた回数は片手で足りる。たしか、ひとりで小樽を散歩しているときにふらっと立ち寄った記憶がある。何が展示されていたのか、覚えていない。あそこは、なんという名前の美術館だったか。やはり、覚えていない。中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。俺は学生証を提示しただろうか? 学生証を所持していただろうか? それとも成人してからなのか。まったく、何も覚えていなかった。
国立新美術館の近くにあるレストランで昼ごはんを食べた。豚のカツレツは売り切れていた。「今日はカツレツがよくでますね。パエリアはまったくでませんね」店員同士の話し声が届いた。ホールとキッチンの会話。何気なく隣のテーブルに目をやると、作業服を着た男性三人が、全員、豚のカツレツを食べていた。あれが、最後だったのかもしれない。チキンカツを食べながら、パエリアを選んだ方が良かっただろうかと少し考えた。店員の言葉が、少しだけ残念そうに聞こえたからだった。チキンカツは、おいしかった。
美術館に入り、案内所でチケットの買い方を訊ねた。展示室には、立体的な絵が飾られていた。絵の具が重なって厚みが出ているとか、奥行きのある描写がされているとか、そういう意味ではなく、物質としての立体である。「なんじゃこりゃ?」よく見ようと思って近付いた。俺は近付く前に、床を確認している。ここから先は立ち入らぬようにという白い線があるかもしれないと想像したからだった。美術館には、白線がないのだろうか? あるものだと思っていた。線はなかった。近くで見ていると、学芸員の方から柔らかく注意を受けた。自分が思っているよりも、近寄りすぎていた。反省し、謝った。飾られていた絵は、二桁だと思う。平均的な数だろうか。石も置いてあった。石を切る人との合作であるらしい。作品には通し番号が振られていた。作品に、意味のあるタイトルをつけるべきか、否か。難しい問題である。勿論、通し番号にも順序としての意味はある。そうではなくて。美術館にいたのは一時間くらいだったと思う。
美術館を出て、新宿を目指してみようと考えた。二ヶ月前の記憶をたどっている。既に、所々が曖昧になっている。美術館を出たのは14時くらいだったようにも思う。メモを確認する。俺は、新宿行きを中止していた。赤坂に向かい、豊川稲荷に参拝している。悩んだ挙句、俺は狐さんを撮らなかった。これは、親しみの話だと思う。相手に対して、一定以上の親しみを覚えているか、否か。正確ではない。主体は相手かもしれない。相手が、俺に対して一定以上の親しみを覚えているか、否か。いつか、写真を撮りたいと思った。豊川稲荷には、沢山の狐さんがいる。凛々しい狐さんもいれば、チャーミングな狐さんもいる。認識できる、全ての狐さんに挨拶した。お久し振りです。こんにちは。
四谷を経て、飯田橋にたどり着いた。自身が闖入者であることを自覚しながら、東京理科大学の敷地を横断した。同僚が働いていたコンビニエンスストアを探す。ここだろうか。ここの話だったのだろうか。コンビニで働いていた彼を思う。今、一緒に働いている彼を思う。学生の頃はダンスを踊っていたと話していた。俺もね、今、たまに踊ろうとしているんだ。彼に対して、縁という言葉を用いたことはない。だけれど、もしかしたら何かがあるのかもしれない。「パドブレはできるようになりましたか?」「なった。俺、パドブレできるよ。教えてもらった」飯田橋スターバックスにハチドリがいた。思いのほかあちらこちらにハチドリがいることを知った。金沢21世紀美術館で。ひとりの人が弾くギターのピックガードに。そして、珈琲のパッケージにも。ハチドリという鳥は身近なところにいるのかもしれない。俺が感じていたよりもずっと近くに。ギンレイで映画を観る。あしたのパスタはアルデンテ。面白かった。寝ていない。イタリアの映画。俺の散歩はギンレイで終わっている。携帯電話の電池も尽きつつあった。寄り道しながら、およそ7時間東京の一部を歩いていた。俺は、都内にある街と街の位置関係に暗い。海図も羅針盤も持たずに海へと投げ出されたような感覚を覚えるほど、本当によく分かっていない。今日歩いたところは、少しだけ明るくなっただろうか。そんなことを考えていた。噂には聞いていたが、きっと、東京は狭いのだ。俺が思っているよりも、ずっと狭い。しかし、距離や広さと密度や難易度は別の話で、俺にとって、東京という街はきっと複雑で難解なところなのだと思う。覚える気がない。理解する気がない。そういうわけでもないのだが、そう思われても仕方がないとは思っている。それほどに、俺は分かっていない。だけれど少しずつ。少しずつだけれど、俺の思い描く東京は具体的になってきていると思う。東京を歩こうと思う。街の中を歩くことも俺にとっては意味があるけれど、俺が必要としている散歩は街から街に歩くことなのだと思う。