「馬鹿だろう? いま俺は、何もないゆえにどこへでも行ける」

みんないなくなるような気がして。好きなひとも嫌いなひとも、どちらでもないひとも、みんな俺の知らないところへ行ってしまうような気がして。すぐに、逆かもしれないと思い直す。みんながいなくなってしまうのではなくて、俺がいなくなるということかもしれない。俺にとっては同じことだと思う。
すこしだけ寂しくなって、それは死に至らない寂しさで、誰かに「大丈夫か」と訊かれたとしても「大丈夫」と答える程度のものだった。

そんなときは、料理をするに限る。食えばなんとかなる。

出張中は主に肉を煮ている。100グラム98円のブロック肉を煮る。

初挑戦は、牛肉のトマト煮だった。フライパンに肉とトマト缶をいれて火に掛けた。缶詰の水分はあっという間になくなって、いうなれば牛肉のトマト和えらしきものが出来上がった。かたくて食べられない。大概のものは食べようとするのだけど、これだけは食べられなかった。失敗である。六本木の、とあるバーではたらく店長に相談した。「××さん、最初は水もしくはワインで煮るんです。いきなりトマト缶は無謀です」二度目の挑戦。牛肉が売っていなかったので豚肉を煮た。今度は食べることができた。熱した鍋にワインを投入した際に換気扇の処理能力を超えた白煙が発生し、同僚とともに軽度の混乱に陥ったが、出来上がってみればまずくはない。三度目は、牛肉の再挑戦。試しに白ワインを使ってみた。あまりおいしくなかったのは、最初の焼きが不十分だったからかもしれない。もしくは、白が悪手だったか。
そうして、四度目の肉煮。これまでの俺とは違う。料理の本もめくった。トマトから一度離れてみることにした。ビーフシチューをつくる。午前4時半、俺は台所に立った。

冷凍庫で待機していた肉を取り出す。包丁が入らない。解凍しなくては。ビニール袋に入れて水の中へ。電子レンジはない。その間、野菜を切った。ジャガイモ、にんじん、玉葱。にんじんをこのように切るのは初めての試みだった。俺は伊藤切りと名付けた。伊藤さんのつくったポトフに入っていたにんじんは、たしかこんな感じだった。俺はにんじんの皮をむくことに対して若干の苦手意識を持っているのだが、この切り方なら心配ない。玉葱は四つに切った。料理の本にはそう書いてあったような気がする。
まだ凍っているけれど、おそらくもう切ることのできる肉に塩と胡椒を振る。後から考えると、これは失敗だったかもしれない。塩を振ったことで肉のベシャベシャ具合を加速させてしまった可能性がある。大丈夫。問題ない。そして、新兵器の登場である。料理の本をめくったときに、俺は感動した。そんな使い方があるのか。そう、小麦粉の登場である。曰く、小麦粉でコーティングすることで旨味を中に閉じ込めることが可能らしい。片栗粉の可能性もあるが、たぶん小麦粉だろう。シチューのルウには小麦粉が使われているのだから、肉にまぶしてもルウと喧嘩しないはずだ。ベシャベシャの肉に小麦粉をまぶす。写真でみた状態とはだいぶん様子が違う。小麦粉が泥のようになっている。なにか違う。ベシャベシャのままは、まずかったのだろうか。おそらく致命的な誤りではない。小麦粉と焼き。二重のコーティングがどのような結果につながるのか。肉を全面強火で焼いてから、赤ワインを入れる。煮ている間、俺は風呂に入り、DVDをみた。

もういいだろうか。二時間くらい煮たと思う。切った野菜を合流させる。これは、明らかな失敗だった。野菜を炒めることを忘れていたのだ。入ってしまったものはしょうがない。DVDの続きをみた。最後にルウをいれて出来上がり。開始から三時間半が経過していた。食べてみると、おいしかった。肉は、イメージよりもかたさが残っていた。まだ足りないのか、何かが間違っているのか。けれど、これまでつくったなかでは、一番まともに感じられた。あるいは、市販のルウが偉大だというだけの話かもしれない。俺の、最大の過ちはこの後に訪れる。
気が緩んでしまったのかもしれない。俺は鍋を火に掛けたまま、眠ってしまっていた。同僚の声で起きる。居間は焦げた匂いで満ちていた。鍋のなかには絵に描いたような炭。三時間半掛けて出来上がったビーフシチューは、プラス四時間半で炭になった。これぞタンシチュー。