ダンス?? ダンス…… ダンス!!

ひとりのひとが踊るその日までに、読まねばならないと予感した小説があった。

9月25日に読み終えた。本来なら、その小説の感想を先に書こうと思っていた。しかし、どうしても書けなかった。二千字くらい書いて、俺は中断した。書けない。文章を書く際、終わりの一文が決まっているものと決まっていないものがあり、終わりの一文が決まっているときはどちらかというと書き終える傾向にある。質の良し悪しは別として。この小説の感想の、終わりの一文は決まっていた。それでも書けなかった。俺は、書くことを諦めた。書けない。諦めて、もう一度小説を読むことにした。たぶん、持ち帰ってきたものが不十分なのだ。だからもう一度行く。そして、持って帰る。

10月の中旬に月末の休日申請を提出しようと考えていた。ひとりのひとが踊る。あまりに早い申請は上司に迷惑を掛ける。俺はタイミングを計りながらスケジュールを見守っていた。
結論から書くと、申請はできなかった。
クライアントの要望が、踊る日とピンポイントで重なっていた。俺か上司でないと対応できないクライアントがわずかに存在する。人員が限定されているという状況に問題があることは分かっているのだが、間に合っていない。それでも、これまではなんとかなってきた。それは、俺にしかできない仕事がないからだ。俺が休むときは上司が出てくれる。「違うところで頑張ってくれたらいい。そのときは俺が休めるから」きっとそう言うだろう。
その日は例外だった。上司にしか対応できない予定が同時に入った。ひとつなら彼が出ればいい。実際はふたつで、上司はひとりしかいなかった。「まじか……」上司はプライドをもってスケジュールを組んでいる。彼のプライドとは、休みたいひとを休みたい日に休ませるというものだ。上司が謝るような気がした。俺に謝るようなひとではないのだが、なんとなくそんな気がした。相談しながら、これしかないと考えたことを伝えた。「出社時間を遅らせてもよろしいでしょうか?」入社して5年。私用で時間を変更する希望は初めてだった。「構わない。まったく問題ない」

土曜日の、午前11時頃に仕事を終えた。会社には俺と上司しかいない。「お前、今日発表会じゃないのか?」「今から行きます」帰宅してシャワーを浴びる。眠ったら終わりだということは分かっていた。俺はこの週の火曜日に、寝過ごして約束を破ったばかりだ。もう嫌だ。約束を破るのは嫌だった。思い入れのあるカフェに寄る。アイスコーヒーを飲みながら時を待つ。カウンター席の座り心地は良くない。ちょうど良かった。
開場までのあいだ、隅田川をみていた。魚はいるのだろうか。友人から電話があった。「いま大丈夫?」「うん」「前に、手段のために目的を選ばないということについて話したよね。本当にあるのかな。あったらいいと思って考えていた。そういえば最近読んだ本に、哲学と科学を並列で考えるというものがあってね」記憶をたどる。たしかに、何年か前にそんな話をしたような気もする。「ためにという表現がすでに目的をあらわしている。けれど、そういう話ではないよね?」「うん」ふたりで考えながら、それでも答えは出なかった。「あとで、もう少し考えてみる」

俺は三人のひとに「舞台をみませんか?」と提案していた。ひとりは知人、ひとりは友人で、もうひとりは縁のあるひとだった。知人からは断りの連絡があった。友人は「日曜日に」という返事をくれた。縁のあるひとは「難しい」という返信をくださった。
河川敷で、そのひとがこの日に働いていることを知る。きっとまた。根拠のない確信があった。いつかお会いできるという確信、そして、俺が素敵だと感じてきた舞台をいつの日か共有できるという確信があった。彼に対しては、特にまっすぐな言葉を心掛けた。一歩間違えれば不躾ともいえる言葉を選んで、率直にお誘いした。

舞台の対角線上に知っているひとがいた。灰色のひと。共に赤い困難を乗り越えたひと。必ずしも近くに座る必要はないような気がした。別々の視点で同じ舞台をみる日があってもいい。開演。

俺は、この曲を知っていた。『異邦の騎士』で知った曲。チック・コリアの良さは分からなかったけれど、この曲は好きだった。振りも知っている。俺は、この曲の振りを知っていた。ひとりのひとが踊る。どんな思いで踊っているのだろう。音楽をからだで感じるということ、感じた何かを形にするということ。舞台に立つということ、表現するということ。馴れ合いではない仲間。痛いところ、知っている。それでも笑う。きっと、ここが舞台だから。にっこりするときだから。フラットな楕円の舞台。想定された正面はあっても、それは定まっていない。仲間は必ずしも同じ方向をみていない。360度の観客。まるく、まわる。ひとりのひとのターンは、美しかった。おそらく、円は訓練によって整う。先生の言葉を思い出す。空間を抱える。あるいは、空気を抱える。人は形のないものを抱えることができるのだ。カウント、曲、振り。志。俺は十分に分かっていないのかもしれない。ここにあるのは広場だった。

統一された広場があった。

踊るひとと踊らないひとがここにはいる。けれど、そこに境目はない。同じ空気を吸い、同じ光を浴びている。いつもの舞台は、どちらかというと明確な空間の境界がある。ここから先は踊るひと。ここから先には踊らないひと。ライヴに近い。演奏するひとと音楽を聴くひと。俺はいつも見上げていた。穏やかな曲になる。指を噛む。「ここはカウントじゃない。強いて言えば呼吸」「呼吸?」舞台が終わったあとの会話。「練習していると、合ってくる。けれど、不思議とまったく合わない日もある」彼らの呼吸は合っていた。自分に置き換えて考えてみる。仕事をしているなかで、稀に呼吸が合う。それは、アイコンタクトにも近い。俺は奇跡だと思っている。当たり前のように起こることじゃない。必要に応じて、結果的に家族よりも長い時間一緒にいて初めて合うかもしれない、そういうものだと思っていた。上司のことを思った。初めてみたときにも驚いた。呼吸がね、合うんですよ。先生の考えを想像する。「人は言葉を得る前から踊っていたと思う。だからね、還るだけなんだよ」先生はそう言った。ここには踊るひとと踊らないひとがいた。だけれど、あるいは先生は境界線を吹き飛ばしてしまいたかったのではないか。境目はない。誰もが踊るひとだった。だからこの舞台を選んだのではないか。だから、この曲を選んだのではないか。

舞台が終わり、会社に戻る。仕事を終えて、そのまま友人の家に向かう。ひとりで眠るわけにはいかなかったから、友人に我儘を言った。「何時頃だったら行っていい?」

「来たいときに来ればいい。いつでもいいよ」

青椒肉絲を出してくれた。「きみが作ったの?」「まさか」おいしい。おいしかった。「ちょっと寝てもいい?」「うん」電気を消してくれた。前もそうだった。暗いの、嫌いじゃないから。彼はそう言った。ねえ、今日はひとりのひとが舞台に立つ日曜日なんだ。もう少ししたら、一緒に行こう。

友人の芝居やライヴをみたことはあるけれど、ダンスはなかった。どんな感じなんだろう? 興味があったし、彼女が頑張っていることを俺は知っていたから、問題なければ是非行きたいと考えていた。

二年間で培われた勘が「その日は危ねーぞ」と告げていた。

約束を破ることになったらごめんなさいと断って、チケットの取り置きを依頼した。

一週間前に灰色のままだったスケジュールが、三日前に黒くなった。出勤確定、か。やっぱりな。

「知り合いが踊るんです」打ち明ければ、上司が必死でスケジュールを組み直そうとすることは目に見えていた。そして、スケジュールを組んでいる上司本人が誰よりも現状に悩んでいることも、俺は肌で感じていた。せめて土日はみんな休ませたい。そう話す、誰よりも休みを取っていない上司がどんな気持ちで日曜日に現場を組んだのか。今、完全に週休二日制が崩壊しているのは上司のせいじゃない。むしろ、上司の組んだスケジュールは神懸っている。

人員計画が拙い、会社全体の問題である。いえない。

仕事は19時から。舞台は18時から。話を聞くと1時間ほどだという。無理だ――いや、行ける。

元々は、寝坊が怖くて夕方の部を予約したのだが、舞台には昼の部もある。

15時開演。1時間程度なら、うまくやれば両立できるんじゃないか。デッドラインを調べる。一度家に帰らずに会場から直で職場に行けば十分に間に合う。

問題ない。

どっちかを選ばなければいけない時が来ることはわかってる。覚悟は決めているつもりだ。でも。できることなら、できるだけ、どっちも選びたい。

ファッキンカルネアデス

とても拙くて、顔が赤くなるけれど、3年前の日記です。直したい部分は沢山あるけれど、それはきっとフェアじゃないから。