「生きてる時と死んでる時が実はそんなに変わらないことだとしたら」

水曜日が休みになった。

観たい映画があったのだけれど、その映画が上映されているのは金曜までで、難しいかもしれないと思っていたところに舞い込んだ休日だった。何かの縁と思い、朝に仕事を終え、昼に起きた。縁。今読んでいる本にはサンドイッチが登場する。それがおいしそうだったから、サンドイッチを持ち込んだ。縁がなければ知りえなかったホール、映画。本。ギンレイホールで初めて観た映画は『転々』だった。

水曜日の昼過ぎに、『ハロルドとモード』を観た。

とても良い映画だった。俺は、映画を観ていて眠ってしまうことがよくある。本なら仮に寝てしまっても起きて続きを読めばいい。しかし、映画は先に先に進んでしまう。落ち込む。この日は、ずっと起きていた。考えるに、調子というものがあるのかもしれない。仮に眠くても、疲れていても、退屈でも、調子が良ければ起きているのではないか。本当のところはわからないけれど、いずれにしても、最近は映画を観ていて寝てしまうということが減ってきたように感じる。

以下、内容に触れます。どうやら日本にDVDがないそうだけど、今後、何らかのチャンスがあって観るかもしれない方は読まないほうがいいと思います。


冒頭から良かった。明るい曲調の主題歌をBGMに主人公のハロルドが登場する。カメラは足元を映している。きっと、高価な靴。茶色の革靴。そのシーンは映画の始まりであるのと同時に、一日の始まりなのだろう。ハロルドはロウソクに火をともす。卓上ライターからマッチへ、マッチからロウソクへ。これから始まるのだ――と思った矢先にハロルドが首を吊った。

内容や背景をまったく知らずに観ることができたということも、幸運のひとつだった。『やさしい嘘と贈り物』もそうだった。薦めてくださった方は「DVDを借りるときはパッケージの裏もなるべくみないように」と助言してくれた。俺は、差さっているDVDの背表紙をみてタイトルを確認し、引き抜くために必要な角度だけ斜めに傾け、借りた。こんな借り方をしたことは一度もなかった。そして、その助言は的確だった。

ハロルドが死に魅せられていたのか否か、結論を保留している。今のところ違うのではないかと思っている。とにかく、彼はあちこちで、いろいろな方法で、自殺を表現した。俺が良いと感じたのは、プールのシーンだった。母親が自宅のプールで泳ぐ。傍らで、ハロルドが浮かんでいる。入水自殺。母親が泳ぐまで水面に波ひとつないところが良かった。おそらくハロルドは、だいぶ前からプールに浮かんでいたのではないか。あの穏やかな水面は、発見を待つ彼の時間をあらわしているのではないか。

やがて、ハロルドとモードは出会う。二人は恋をして、そして別れる。ラストシーンで、ハロルドはバンジョーを弾いている。バンジョーはモードから教わった楽器である。モードは、ハロルドと合奏したくて弾き方を教えたのだと思う。しかし少なくとも作中では、二人は一緒に演奏していない。歌はうたっているけれど。きっと一緒に弾くことはなかったんだろうなと思う。たしか、ハロルドがうきうきしているシーンで主題歌が流れていた。ここだけがバンジョーのソロバージョンだった。そのアレンジは、離別を暗示していたのかもしれない。

別れの間際、ハロルドはモードに「愛している」と気持ちを伝える。モードは「もっと愛しなさい」と応える。言葉がすれ違っているような気がして、そのことがとても悲しかった。恥を恐れずに書くと、モードは「go love more」といっているように俺には聞こえた。「私を」じゃないんだ。そう考えると、とても悲しかった。