「おかえりなさい」

そこには俺と僕と私がいた。俺と僕は話し合った。私と俺も話し合った。僕と私は、あまり話し合わなかった。私と僕のあいだには俺を接点としてのつながりはあったけれど、直接の関わりがほとんどなかったからだ。俺たちは、目を充血させたツバメについて話し合った。

そのツバメは、Vサインを好んだ。ツバメが好んだのはピースではなくVサインだった。だけれど、いつしかツバメはVサインを忘れてしまった。同時に、きっと大切な何かも忘れてしまった。ツバメは星をみるようになった。北で働く日の夜も南で休む日の朝も星をみるようになった。ツバメは星を思う。やがて、どうして自分は空を渡らなくてはならないのだろうと不満を抱えるようになった。東の空にみえるその星は、時折クチバシが届くのではないかと感じるほど近くにあるような気のするその星は、ほかの方角の空からだとよくみえなかった。空は続いているはずなのに、みえなくなった。ツバメは、ずっと星の傍らに居たかった。もう空を渡りたくない。それでも渡らなくてはならない。きっと追い詰められていたのだと思う。僕はそう思う。ある日、東の空を見上げるツバメのもとに風の便りが届いた。何かを失ったのだ。ツバメはそう感じた。あるいは、既に失っていた何かについて、ようやく理解したのだ。星をみていたツバメの目は、真っ赤に充血していた。もうみないほうがいい。私が止めたところでツバメが耳を貸さないことは分かっていた。それでも。「もう、やめた方がいい」そういった。ツバメは空を見上げたままこたえた。「思いはどこへ届くのですか」僕は、思いというものがよく分からなかった。頭のなかにある何かだろうか。頭のなかにある何かを、思いとそれ以外に分けることはできるのだろうか。分けることができないのであれば、思いとは頭のなかにあるものすべてだろうか。頭のなかにある何かは、届けるべきなのだろうか。どこかへ。誰かに。求めに応じて? 自らの意思で? 意思。意思も思いだろうか。思いが思いを届けたいと思うのだろうか。俺は、ツバメのVサインが好きだった。風を読みながら空を滑るツバメのことが大好きだった。しかし、いつの間にか俺の好きなツバメはもういなかった。そこにいたのは、空を飛ぶ目的を見失い、それでも飛ばなくてはならない、一羽の赤目の鳥だった。仮に、本当に思いというものが存在するなら、赤目の鳥は自らの思いに押し潰されてしまったのだ。制御を失った思いは徐々に黒く重く、硬くなり、飛行可能な自重の上限を超えてしまったのだ。赤目の鳥が失った大切な何かについて考える。とても時間が掛かった。自分なりの答えを伝えた。返事はなかった。相変わらず東の空を見上げていた。厚い雲の掛かる日が続いた。赤目の鳥は、そんなとき本を読むようになった。本当は星をみていたいのに。そう思いながら。

本を読み終えた赤目の鳥は、一本の鉛筆を買ってきた。それから、北の空の下で書くことと眠ることを繰り返した。書いては眠り、眠っては書いた。やがて、赤目の鳥はツバメに戻った。ツバメは、本のなかに空をみたのではないか。そして、それはきっとツバメと星のあいだにある、距離としての空ではなかったのだと思う。

夏の空にツバメが舞っていた。ツバメは風をみて、そしてクチバシを地に向けた。垂直に降下するツバメが加速する。滑空がどこでおこなわれたのか、俺は覚えていない。きっとどこでもよいのだろう。光や音、なにものもツバメに影響を及ぼさない速度だった。いかなる方角であっても、やはり空は続いていて、その向こう側にはツバメの思う星がある。思いはどこへ届くのですか? きっと、ツバメは答えを見つけたのだ。ツバメのVサインは健在である。直滑空するツバメの、二股に分かれた尾は天を向いていた。

つまり、サイトの名前が変わったということです。