叙述トリックのこと。音楽のこと。

好きなひとと話していて、叙述トリックの話になった。正確には、かつて友達が好きなひとに薦めたらしい小説が、叙述トリックを使用したものであり、たまたま俺も読んだことがあったものだから俺は叙述トリックという言葉を口にしてしまったのだ。しかしながら思い返せば友達の薦めたらしい小説が叙述トリックを使用したものであったかどうか、今では自信がない。違う小説と勘違いしているような気がしないでもない。とにかく、叙述トリックの話になった。どういうものかと訊かれたので、イメージを言葉にする。「わかった?」「うーん。なんとなく」

叙述トリックの日記書いてよ」
「う、ん」

肯いてみたものの、叙述トリックを使用した日記を書くのはとても難しい。いや、次は叙述トリックを使うと予告したうえで叙述トリックを使うのは難しい。そう思いながら「叙述トリックの日記を書く(かもしれない)」と話した。そしていま、叙述トリックについての日記といえなくもないものを書いている。

没になったものとしては、人をすり替えるというものがあった。

つまり、たとえば母親と俺の会話を日記に書き、読み手には好きなひとと俺の会話であるようにみせるというものだ。

しかし没になった。うまくいかなかった。なにより、この案は本人である好きなひとには通用しないのだ。

次に没になったものは、叙述トリックを使うと予告しておきながら叙述トリックを使わないというものだった。なぜ没になったかというと、叙述していないからである。

長い出張の間、いろいろなことを考えていた。叙述トリックについてもそうだが、他にもいろいろなことを。まだ出張は終わっていないのだけれど、ようやく終わりがみえてきた。今日一日の休みをここですごし、あと二日西の方で働けば、関東に帰ることができる。

同郷の同僚と話していた。「……帰りたい」「札幌にですか?」「? いえ、関東に」「もう、帰る場所は札幌じゃないんですね」「そういえば、うん。そうですね」

好きなひとがいて、友達がいる。帰りたいと思った場所は、関東だった。気がつけば、関東が帰る場所になっていた。出張先であるこの町は、とても良いところだと思う。勿論、札幌も好きだ。けれど、いたい場所は関東なのだと思った。

出張中も同じ曲を聴き続けていた。繰り返し繰り返し、聴いていた。何度聴いても難しい。けれど、10回きいてだめなら100回。100回きいてだめなら1000回きけばよいのだ。なにかがみえてくるかもしれないし、きこえてくるかもしれない。

いま、聴き続けている曲から一度離れてみた。イエローモンキーやバックホーンを聴く。とても久しぶりに聴いた気がした。吉井和哉は歌がうまいなあ(赤裸々GO! GO! GO!)とか、菅波栄純は本当に顔でギターを弾いてるなあ(光の結晶)とか。

そしてまた聴き続けている曲に戻ろうと思う。