これくらいやっていい

本編よりも先にあとがきを書いて公開するような、そんな幼稚な行為かもしれない。
だけれど、どうしても書きたかった。それくらいに彼の音楽は、彼の言葉は、鋭かった。

やってみたいと思いついたのがいつなのか、正確な記録は残っていない。おそらく、ふぁっきゅん夏の陣2018のどこかであるとは思う。

8月13日(月)

友達のCさんに「話したいことがある」と連絡した。お互いのスケジュールを調整し、25日に焼き鳥屋さんで待ち合わせる。ここは、彼女と知り合った店だった。
「歌ってもらえないだろうか?」
どうやってお願いしよう、どういう順番で話をしよう。まとまらなくて、結局、順番通りに話した。
「いいっすよ」
即答。

9月24日(月)

久し振りに、越川くんとお酒を飲む。楽しかったし、嬉しかった。冗談を口にすると応えてくれる。彼は、親切な人なのだ。KちゃんとJくんの話は別の機会に。忘れないよう、メモを残す。
「いじわるで速く叩いているのかと思った」
「小節をまたいでしまうから」
「分かった。たぶん、読んでほしいんじゃなくて読んでいいよって意味だ」
これで大丈夫。越川くんとは、真面目な話もした。
「あのね、録音にチャレンジしようと思う」
「うん」
「君にお願いした方が確かだということは分かっている。でも、それは違うと思う」
「うん」
「本当は、君に音源を送りつけてしまえばいい。そうすれば、とても簡単だ」
「送る方は簡単かもしれないけれど!」
君を頼る日があるなら、それはもっと先に訪れる。今じゃない。その時、俺はそう考えていた。
名残惜しかったけど、次の日、俺は日勤だった。彼もきっと仕事があるだろう。
「ありがとう、じゃあ、またね」
彼は、駅まで送ってくれた。駅の名前、思い出せない。行けば、きっと分かる。

9月27日(木)

Cさんと打ち合わせ。この時の話は、日記に書いている。
付け加える点があるとすれば、彼女が恋人に話をしていなかったということだ。後で知った。俺だけの感覚がずれていた。誰かに内緒話を押しつける行為は、可能な限り回避したい。軌道を修正する。

10月8日(月)

スタジオを借りて録音の練習をした。2時間があっという間にすぎた。準備にどれくらい掛かるのか。技術と経験以外に足りないものはないか。初挑戦なので下調べを兼ねた。

10月12日(金)

Cさんは勘を取り戻すために自主練を行った。
「思いのほか弾けなくなっていました。やべえっす。15日も練習することにしました」
スタジオを後にした彼女はそう言った。

10月14日(日)

8日と同様、一人でスタジオに行った。3時間。
宅録が可能であればそれが一番良いのだけど、俺の部屋は世界の終わりに近いレベルで荒れ果てているし、彼女の部屋はなるべく使いたくなかった。隣人問題もある。俺のアパートには俺しか住んでいないけれど、彼女の家はそうじゃない。

10月15日(月)

翌日の16日は休日申請を出して休みを確定させていたのだけれど、上司の心遣いで前日も休みになった。この日はCさんが2回目の自主練を行う日でもあった。
「そのへんをうろうろしていても邪魔じゃないなら、君が弾いているところを試しに録音してみてもいいだろうか?」
「うろうろOKです!」
そうか。一人で集中したい人もいるに違いないと案じたのだけれど、彼女は平気らしい。言葉通りに受け取り、甘えることにした。スタジオ代も、二人で払えば安くなる。俺はピアノが弾けない。二回行った録音練習は「猫踏んじゃった」で、音の数とか強さとか、不安要素しかなかった。

10月16日(火)

5時間。本来は、ピアノと歌の両方を録音する予定だったが、歌は次回ということに。
「せっかく休みを取ってくれたのだから」
彼女は何度そう言っただろう。何一つ気にすることはない。問題ない。俺は、Cさんが少しだけ怖かった。本人にも伝えた。そうか。集中している時、こういう表情になるのか。素敵だった。
「追い詰められていただけです」
彼女はそう笑ったけれど、本当にそうだろうか。Cさんと別れた後、俺は「たぶん間違えた」とつぶやいている。このことも、日記に書いている。

10月21日(日)

音源と感想のやりとりを幾度となく行っていたが「メッセージのやりとりでは伝えるのが難しいところがある」と言われた。焼き鳥屋さんで30分程打ち合わせ。
「二箇所あったんですけど、一箇所はもう直っている。直しました?」
「分からない」
「直しましたよね?」
「わ、分からない」
思い返せば、彼女との会話がきっかけとなり、俺の去年の目標は定まったのだ。知ったかぶりをしない。正直に答えた。

11月19日(月)

歌を録音。3時間。こちらは、ほぼ予定通りに終わった。おまけというわけではないけれど、彼女が演奏している姿も一度だけ録画した。
「も、もう忘れました。転調後、分からない!」
俺の姿も入り込んでいた、どのみち、本編では使えない映像になった。
「おなか、すいた!」
「ご飯を食べよう」
そうして、ピアノと歌の録音が無事終わった。肺と腎臓が痛かった。「俺多分長生きできない」siriに話しかけている。今は、大丈夫。

11月27日(火)

日勤。仕事が終わって、あーでもないこーでもないと音源のミックスを続けた。一応は形になった、と感じた。ピアノも歌も細かいところを含めると、それぞれおそらく10回以上触っている。俺が唯一断った編集は、ピアノの音量調整だった。小節単位で強弱をつける作業を俺は拒否した。「技術的にも心情的にもやりたくない」Cさんに伝えた。
24日、奇しくも俺は「感想を求めること」について考え、さらには他の方を巻き込んでいる。順番が逆だ。他の方を巻き込んだ後に、俺は感想を求めることについて考えたのだ。その節は、ありがとうございました。
俺の考えは変わっていない。感想とは、原則として善意が形になったものだ。つまり、感想を求めるという行為は善意を求める行為に近い。

だけれど、越川くんは俺にとっての例外だった。

彼だけは、別なのだ。何をしても良いという話ではない。そうではなくて、だけれど、別なのだ。

俺は、越川くんに音源を送った。

それは「できた!!」という報告ではなく「どう思う?」という問いだった。
「聞いた。ミックス前の音源はある?」
俺がどれくらい触ったのか、比較するためなのかなと最初は思った。違った。2時間後、音源が届いた。彼は、最初からミックスしてくれたのだ。

「これくらいやっていい」

その時は至らなかった言葉、今、思い浮かんだ言葉。それは、絶句だった。俺が遠慮して触れなかったところを、彼は容赦なく触っていた。
「どうやったらこうなんの?」
「知らないけど、適当に選んでいって」
越川くんからのプレゼントは二つ。一つは、音源。もう一つは言葉。そこから生まれたすべては、俺のものだ。彼が言ったわけじゃないし、どう思っているかなんて分からない。

「何、遠慮してんの? びびらなくていいよ」

繰り返す。これは俺の言葉だ、彼の言葉ではない。俺は遠慮していた。Cさんも越川くんと同じ音楽の人だ、俺は違う、びびっていた、逃げていた、俺は意見を言っていない、何も、言っていない。彼だって暇じゃない。「いや、時間があったから」と言うかもしれない。仮にそうだとしても持て余しているわけじゃないだろう。それなのに、やってくれた。
こんな形の応援を、俺は誰かにすることができるだろうか。厳しい人だとも思った。右辺を提示する、左辺はがんばれ。
「できるよ、がんばって」
とても嘘くさくて恥ずかしいのだけれど、事実だから書き残す。俺は越川くんのミックスを何十回と聴いた。笑った。なんだよ、これ。笑った。昔、とある人に言われた言葉。「そういうふうに笑うところが嫌い」分かっている。やってやる。

悩んだ結果、俺はCさんにも越川くんの音源を送った。伏せておくことが卑怯だと思ったから。俺は、きっとここにたどり着けない。関係ない。

12月1日(土)

俺は、Cさんと越川くんに音源を送った。
「越川くんみたいに格好良くはならなかった」
迷いもあった。これでいいのか? 合っているのか? 分からない。でも、答えてくれる人たちがいる。向き合ってくれる人たちがいる。彼女と彼、二人から返信があった。俺は、恵まれている。

12月4日(火)

夜勤。昼、Cさんと打ち合わせを行う。
そしてきっと、越川くんに聴いてもらう次の音源はギターが加わったものだ。公開する音源。二人を巻き込んで、できるだけのことをやって、仕上がった音源に俺のギターを加える。それは、今までの時間を台無しにするようなものになるかもしれない。それで良いと思っている。最初から決まっていることだから。Cさんにも伝えている。
「チューニングだけはさせてください!!」
俺は、彼女の悲鳴に応答しなかった。キッズ達に届いて欲しいと思って今日を迎えた。下手くそな人が関わっても良いのだということを、俺は伝えたい。

薄々気付いていたことではあるが、ここ数ヶ月、Cさんとは毎日のように連絡を取り合った。共有した時間も、合算すると恐ろしい。彼女は録音が終わった日に「次は何をやりましょうか」と言ってくれた。迷ったけど、これも言葉通りに受け取った。あなたとやる音楽は面白かった、そんなふうに言ってくれた気がした。にわかには信じがたいが、決めたことだ。そのまま受け取った。さあ、次は何をやろうか。実現するかどうかは、分からない。何より、まだ終わっていない。

夜だったか、朝だったか。忘れてしまったけれど、夢をみた。病院。入院している彼女に音楽を聴いてもらった。イヤホン。「頑張った」彼女は感想を言ってくれただろうか、覚えていない。「違う。そういうんじゃない。友達なんだ。俺、友達がいるんだよ」彼女は、どんな表情だっただろう。